交渉はなぜこじれているのか?
「クラブは契約切れを迎える他のクラブの選手と期限の6ヶ月前から交渉してもいいというルールになっているが、これをミランは破って13年1月から始めた。我々への通知も遅かった。こうして彼らは我々をまたぎ、本田と我々との仲を壊した」というのがギネルの言い分だ。
これに対し、仲介役となった代理人のエルネスト・ブロンゼッティは11日付のガゼッタ・デッロ・スポルトのインタビュー上でこう反論した。
「私が仲介の依頼を受けたのが6月中旬、そしてミランが交渉の場を持ったのは7月3日だ。その後CSKAとはすぐにクラブ間で連絡がつき、彼らが(オファー検討の)時間を取った。ミラノフの故障で彼らは考えを変えたのだろうが、なぜ彼らがミランを非難するのか分からない。交渉の場面ではちゃんと幹部レベルで話がいき、しかも透明だったはず」
13年1月の時点からミランが本田獲得の調査を開始していたことをすっぱ抜いたメディアもあった。もっともその時点で正式な条件交渉など持てるはずもない。それに代理人が“水面下”で動き、好条件のクラブに移籍金のオファーを準備させるのは普通にあることだ。ギネル会長が問題にするのは別のところ。
「本田と我々との仲を壊した」という言葉の背後には、ミランがいたずらに選手に取り入ったので、本田が契約延長に応じなかったのではないかという疑念も読み取れる。
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