破格の契約のからくり
2008年シーズン終了と共に、ロナウドとACミランとの契約が終了した。2006年のW杯では体重増に苦しみ、精彩を欠いていた。年齢30才を超えてはいたが、それを補う技術と経験があった。体重さえ落とせば、依然として世界屈指のストライカーであることは間違いなかった。
そのロナウドは2008年12月、欧州のクラブの誘いを断り、母国ブラジルのクラブを選んだ。さらに世界を驚かせたのは、契約を結んだコリンチャンスからの月収が180万レアル、当時の換算で約9000万円だということだった。
この時、ブラジル国内のクラブに所属する選手では、アドリアーノの36万2000レアル(約1810万円)が最高であったのと比べると破格の数字だった。
もっとも、この数字にはからくりがある。
ロナウドがコリンチャンスから純粋に得ている金額は、月55万レアルに過ぎない。残りは、コリンチャンスがロナウドと契約したことで獲得したスポンサー料のうちの4分の3が彼に支払われるという契約となっていた。
この背景にはブラジル経済の急成長がある。
95年に大統領に就任したリカルド・エンリケ・カルドーゾがブラジル経済を立て直し、続くルーラ大統領の時代に経済上昇が始まった。2010年までのルーラ政権下での平均経済成長率は4.0%。2010年だけとれば、7.5%に達する。
2009年の一人当たりのGDPは全国平均で8347ドルと、新興国の中では頭が一つ抜けた。サンパウロなどの都市圏に限ると、1.5万ドル近くなる。だからこそ、ロナウドの高給をまかなうことが出来たのだ。
そして、ロナウドが開いたブラジルフッチボール新時代の扉は、もう一人の“ロナウド”――ロナウジーニョ“10番”ガウショの移籍に繋がることになる。
【次週に続く】