「お別れの会」で考えたこと
松田の死から22日目の8月26日、アルウィンにてクラブ主催の「お別れの会」が催された。金曜日の夜にもかかわらず、会場には3200人ものファンが集まり、故人との最後の別れを惜しんでいた。プログラムは滞りなく進行し、最後にゴール裏から、お馴染みのチャントが唱和される。
「まーつだなおき! 松本のまーつだなおき! いつまでも、この街と、どこまーでもー!」
続いて、マリノスのチャント。
「なーおーき! なーおーき! なーおーき! なおきオレ!」
松田の死は、図らずも山雅とマリノスという、沿革も規模もカテゴリーも異なるふたつのクラブを結びつけることとなった。故郷である群馬県桐生市で行われた葬儀では、マリノス側が15名ほどの職員を送り出し、斎場での仕切りからメディア対応まで、かなりの部分をフォローしてくれたという。
一方、サポーター同士の交流も深まっている。北信越2部時代から山雅を応援しているという、ある女性サポーターが、こんな話を教えてくれた。
「ネットで知り合って、何度かアルウィンに来てくれていたマリサポの友だちが、この間『マツが愛した山雅を愛したい』と言ってくれたんです。そんな言葉が聞けたのはマツのお陰。本当に嬉しかったですね」
松田直樹が松本山雅FCに所属していたのは、わずかに7カ月。出場試合数15(ゴール数1)。寂しい数字であると言わざるを得ない。それでも彼の存在は、松本の街と山雅というクラブに、これまでにない鮮烈な記憶を残した。
そして、この地で、このクラブで、松田直樹は波乱万丈の生涯を終えた。
「いつまでも、この街と、どこまでも」という、山雅のチャントそのままに。
【了】