松田を失った選手たちの戸惑い
松田の山雅入団の決め手となったのは、ホームスタジアムのアルウィンの存在である。社長の大月は、彼の決意の瞬間をこう回想する。
「(アルウィンに)一歩入った瞬間、松田君の表情がぱっと明るくなりました。ここはJFLだけど、これだけサポーターとの距離が近いスタジアムが、オレは好きだと言ってくれましたね」
松田の死から3日後、彼の決意を促したアルウィンにて、山雅は首位のSAGAWA SHIGA FCをホームに迎えることとなった。キックオフ予定時間は18時30分。だがこの日は、松本市上空に雷雲がたちこめており、雲間から何度となく稲光が走った。試合開始時間は、定刻の10分後、30分後と延期され、そのたびにスタンドは大きな嘆息に包まれた。
通常のリーグ戦であれば、おそらく試合は延期になっていたことだろう。だがこの日のゲームは、すでにいつものリーグ戦ではなくなっていた。主催者側も、その点に留意しながら大いに逡巡したはずだ。結局、当初の予定から1時間押しの19時30分、無事にキックオフを迎えることとなった。
この日のアルウィンは「マツのためにも、絶対に負けられない」という、ある種、異様な空気に包まれていた。しかしフットボールは、弔い合戦のような気持ちだけで勝てるほど甘いものではない。山雅は、ビジターチームのシンプルに縦に向かう分厚い攻撃に苦しみ、9分に先制点を献上。後半、いったんはコーナーキックから追いつくも、再び失点してしまう。
しかも、43分にはボランチでキャプテンの須藤右介が、79分にはセンターバックの多々良敦斗が、いずれも2枚目のイエローで退場処分となり、万事休す。結局、1-2で山雅は「門番」SAGAWAの牙城を崩すこと叶わず、何とも後味の悪い形で終了のホイッスルを聞くこととなった。
確かに、実力的な差はあった。しかしこの日の山雅は、明らかに精神的に余裕のないまま力任せなプレーに終始し、結果として自滅してしまった。最初に退場処分を受けた須藤は、松田の不在がチームに及ぼす影響を痛感しながら、このように語っている。
「みんな気持ちが入っていたと思うし、モチベーションやコンディションを上げていこうと準備をしていたんですが(勝とうとする)気持ちが空回りして、それを鎮めるのが難しかったです。いつも隣にいる人がいないというのは、今でも信じられないです」