技術の使い方がわかっていない
ポポヴィッチ監督の話は続く。
「日本人が持つテクニックは世界でもトップだと思います。ただ、そのテクニック、技術をどういうふうに使うのか、どういう状況で使うのかということについては、方向性を指し示して導く必要がある。
日本はポテンシャルを秘めていますが、したたかさ、たくましさといった部分でもっともっと成長しないといけない。試合中に“なんとかなるだろう”という甘い気持ちは捨ててほしい。そういうことが理解できれば、なかなかシーソーゲームは起こらなくなる。
今は2点獲っても3点獲っても、逆転したり、されたりという試合が日本各地であると思いますが、本当に強いチームは、リードしたらそのリードを守ってしっかり勝ちきる。
サッカーのポテンシャル、テクニックは、考えられないほど上がっている。ただ、どこで何をしなければいけないのか、効果的なプレーとは何かを考えなければいけないと思います」
現ヴァンフォーレ甲府の城福浩監督の言葉を借りれば、技術に判断が伴ったものがスキルだ。判断が伴わないままの技術は、実戦で使えないただの技ということになる。
東アジアカップの第一戦。センターバックの栗原勇蔵は肉体の強さ、空中戦での高さを誇示した。しかし同時に慌てたプレーで混乱を招きもした。単体で優れていても、相手の猛攻に晒されて秩序を保てなくなるようでは、能力を発揮できない。
この試合での日本代表の混乱を評してポポヴィッチ監督は「正しい判断が身についていない。以前からの課題ですが、下部組織の育成から見直さなければなりません」と言っていた。
どういうことか。日本の場合、野球についての常識はあるだろう。それは「バッターは初球に手を出さない」「ピッチャーは初球に様子見の変化球を投げる」「ランナーが一塁の場合は確実に送りバントで進める」というものだ。もちろんこれは日本の常識で米国の野球とは異なるが、とにかく米国と戦えるだけの強固な考えがある。
しかしサッカーの場合、ブラジルなどの強国と戦えるだけの常識がない──そう映っているのかもしれない。