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連載コラム 11年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。本田とジーコの知られざる関係、そしてカズの足跡

出場機会を求めてクラブを転々としたカズ

 今でこそJリーグでもサッカー選手の移籍は頻繁に行われるようになった。それでも移籍をマイナスとして捉えてきた日本のプロ野球の影響もあるだろう、ブラジルや南米の国と比べると、人材の流動性はまだ低い。

 分かりやすい例として、カズこと三浦知良のブラジルでの足跡を追ってみよう。

 彼がブラジルに渡ったのは、1982年12月のことだ。年が明けた83年1月にジュベントスのジュベニールに入った。ブラジルのクラブは、プロ契約選手のトップチームを頂点として『ジュニオール』、『ジュベニール』、『インファンチウ』と年齢ごとのカテゴリーに分類、ジュベニールは16、17歳を対象としている。

 ジュベントスは1924年に設立された歴史のある総合スポーツクラブだ。サンパウロの高級住宅地にある広大な敷地の中には、サッカーのグラウンドの他、体育館、バスケットボールコートなどを備えている。育成に定評があり、横浜フリューゲルスでプレーしたフリーキックの名手、エドゥー(マランゴン)などはジュベントス下部組織の出身である。

 83年11月、知良はジュベントスからサンパウロ州内陸部のジャウーにある、キンゼ・デ・ジャウーのジュニオールへと移った。ジュニオールは18才から20才の選手が所属する。いわば、プロ予備軍だ。キンゼ・デ・ジャウーのジュニオールで1年過ごした後、知良はサントスFCのジュニオールへと移った。

 サンパウロ州には、タッサ・サンパウロというジュニオールの大会がある。この大会は、ユース年代の選手の品評会でもある。サントスのジュニオールの一員として参加した知良は結果を残し、年が明けた86年2月に、トップチームとプロ契約を結んだ。

 ペレがプレーした唯一のクラブ、サントスはブラジル人にとって特別なクラブである。サントスと契約したことは、ブラジルそして日本でも大きく報じられた。

 しかし――。

 知良と同じポジションには、ブラジル代表のゼ・セルジオがいた。ゼ・セルジオは70年W杯優勝メンバーのリベリーノの従兄弟に当たる(後に彼はJリーグの柏レイソルで監督も務めた)。円熟期に入っていたゼ・セルジオは知良にとって憧れの選手でもあった。当然、知良に試合出場機会は与えられなかった。

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