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固定化された「中国=ラフプレー」
「われわれは今日、サッカーをするために(北京に)来たが、とても試合と呼べるものではなかったと思う」
FC東京の指揮官、ランコ・ポポヴィッチの瞳は、燃え盛るような怒りに燃えていた。まくしたてるようなセルビア語は続く。
「なぜなら相手はラフプレーが目立ち、それに対するカードもなかった。実際に怪我をさせられた選手もいる。そうした激しい悪質なファウルに対して、カードを出さなかったレフェリーに対しても理解し難いものがあった」
2012年4月4日に北京工人体育場で行われたACL(アジアチャンピオンズリーグ)、北京国安対FC東京の試合後の会見。試合は1-1の引き分けに終わったが、何とも後味の悪いものであった。東京は開始10分で加賀健一が負傷退場。その後も長谷川アーリアジャスール(同点ゴールを決めた)や羽生直剛が、相手の激しいプレーに顔を歪め、ピッチに倒れ込んだ。
美しく攻撃的なサッカーを理想とし、汚いファウルとそれを見逃すレフェリングに対しては舌鋒鋭く批判するポポヴィッチ。そうした姿勢は、東京のサポーターのみならず、日本のサッカーファンにとっても非常にシンパシーが感じられるものとなった。
と同時に、またしても「中国=ラフプレー」というイメージが、われわれ日本のサッカーファンの間で共有、補強されることとなってしまった。
確かにレイトタックルをはじめ、国安のプレーにはいくつか危険なものがあったのは事実だ。しかし、一方で留意すべきことがある。それは、国安が東京の良さを封じるために、あえてアグレッシブに身体を当て、大きく蹴るサッカーを徹底させていたことだ。実際、私はこのチームを取材している現地の番記者から「国安はもともとパスサッカーが主体であり、東京のサッカーをビデオでスカウティングして方針を変えた」という証言を得ている。