あらゆるネガティブ分析をするメディア
昨季はリーグ総計で13人の監督が更迭されたセリエA。降格したパレルモに至っては2度も監督更迭を行った挙げ句、ダメと見るやザンパリーニ会長は前任者の呼び戻しを2度も行った。
「監督とは現場の最高責任者だ。現場で結果が出なければ、その担当者に責任を取らせるのは企業経営者として当然のこと」と平然と言ってのける彼は例外だとしても、イタリアにおいて監督批判というものは、総じて苛烈なものになる。
まずはメディア。少しでも成績が下降気味になれば批判キャンペーンの開始だ。「結果が出てない以上は何かが問題に違いない」という仮説(決めつけ?)から、ありとあらゆるネガティブ分析を展開。
それも「失点が多い原因を追及する」といった戦術的な観点によるものから、それで監督がひるまなければ(なかには記者会見上で論破を試みる記者もいる)、今度はチームのゴシップを引っ張るなど、あの手この手で揺さぶるのだ。
37歳にしてインテルを率いた青年監督のストラマッチョーニは、この対処においても若かった。最初は記者会見でも人を食うようなジョークを交えていたが、ベテラン記者相手の狡猾な問答に神経をすり減らすうち、チームが不調に陥った後半戦には口数が減った。
しかし彼らのそういった態度は、そもそも読者層となるファンが結果に敏感で悲観的になりやすいからだ。残留を争う南の中小クラブでも、またビッグクラブでもそれは変わらない。
そんな時、真っ先にブーイングを食らうのはやはり監督である。彼らはだいたいメディアの批判キャンペーンに乗せられ、スタジアムでブーイングを展開。そして時には彼ら自身が実力行使に出ることもある。鹿島の小笠原がメッシーナに在籍していた2005年、ゴール裏のウルトラスはジョルダーノ監督の解任を訴えるデモをクラブハウスで起こしていた。