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伊在住記者が警鐘「『パスサッカー』なる表面的な言葉が流布する日本サッカーは思考停止である」

text by 宮崎隆司 photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography , Kenzaburo Matsuoka

サッカーの醍醐味が失われているのでは?

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スペイン代表【写真:松岡健三郎】

 相手が自分たちよりも強ければ、硬軟取り混ぜた策を駆使しては何とか敵の攻撃を阻みつつ、一瞬の隙を衝こうと狙う。相手が自分たちと対等もしくは弱くとも、やはり硬軟取り混ぜた策で敵の守備網を破ろうとしながら、と同時に、一瞬の隙を衝かれないように抜け目なく守る。

 そうした策vs策の応酬と、そのなかで時にキラリと光る超一流たちの妙技の絡みこそがサッカーの醍醐味であるはずだが、どうも近頃の蹴球論にはそれが欠けているようだ。

 バルサやスペインが強いのは、確かにその『ポゼッション』に圧倒的な技術を誇るからではあるが、とはいえ彼らは何もそれ自体を目的としているわけではない。

 パスの連続からなるポゼッションは、あくまでも点を取るための一手段であって、それをバルサやスペインは極めて高い水準で備えているからこそ最大の武器にしている、と。いかにイニエスタが超人的に巧くとも、GKを含む他10人が止まっていてはパスは繋がらない。

 言わずもがな、サッカーとは点を取ってナンボ、また失点を抑えてナンボの競技だ。そうであるからこそ、まるで『それ』自体が自己目的化したかのごとき『パスサッカー』なる言葉にはやはり、強い違和感を覚えてしまうのである。

 そもそも、こうした類いの言葉が今よりもさらに広く深く浸透して行くとすれば、結果として、今にして既に豊富なMFの人材がさらに増す一方で、“ストライカー不在”や“得点力不足”の解消は逆に遠のいてしまうのではないだろうか。

【了】

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