大きく成長した川崎フロンターレ
――ちなみに天野さんの第一印象ってどうでしたか。
「好青年。今と変わらないかな。すごく情熱がある」
――それが2003年の話ですよね。当時、川崎フロンターレの存在は知っていたんですか?
「はい。ただ、そのときはなんとも思っていなかった。まだフロンターレがJ2だった時代で、天野くんから『応援して欲しいんです!』と言われて『はい、いいよ』って」
――そこはあっさりなんですね。初作品になったのが、当時所属していた我那覇和樹、ジュニーニョ、箕輪義信という3選手の似顔絵ポスターですね。実在している選手の似顔絵を描いてみていかがでしたか。
「描くのは楽だったかな。我那覇くんはああいう濃い顔だし、目が大きくて、目力もあるので描きやすかった。ジュニーニョも箕輪くんも同じ」
――そこからフロンターレとの関係がスタートしたわけですね。
「そう。だいたい1年に1回ぐらいのペースで何か一緒にやってるわね」
――川崎フロンターレというクラブも、この10年で大きく成長しましたけど、どういう変化を感じますか。
「スタジアムにお客さんが増えている。あのときは等々力に3千人とか4千人で、今は1万5千人ぐらい入っている。天野くんが『お客さんを呼びたい、呼びたい』とよく言っていたから、成功しているんじゃないかしら」
――天野さんは人を巻き込んでいくエネルギーがありますね。塀内先生がHPで「アマノの空」を描いてましたが、あれを読んで本人は涙ぐんだそうです。先生の天野さんに対する信頼は厚いですよね。
「そういう感想もわざわざ電話して伝えてくれるのが嬉しいよね。すごくマメだし、気持ちよく仕事ができる」
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