アズーリが抱いた日本の大いなる可能性
さらに、監督プランデッリも、「我々に比べて日本の方が遥かに素晴らしいプレーを見せた」と言い、もう一言、こうも述べているのです。
「とりわけ立ち上がりの25分間、我々は何をすべきかさえ理解できなかった」
以上は、言うまでもなく“勝った側”のコメントであって、冒頭に記した“負けた側”のそれとは真逆ですし、中でも注目すべきは監督プランデッリの二言目、「我々は何をすべきか理解できなかった」でしょう。
これは余程のことがない限り出てこない台詞です。にもかかわらず監督がそう口にしたということはつまり、いかに日本の優位性が際立っていたかを示すこれ以上なき証言です。
そして、この監督の言葉は、あえて言い換えるまでもなく、少なくとも相対したイタリアの側に「日本の限界」などは微塵も見えてはないということの証左でもあります。むしろ、イタリアの選手たちが強烈に抱いた印象は、日本の「大いなる可能性」だったのです。
であるからこそ、敗戦は敗戦として日本人らしく潔く受け入れた上で、ですがほんの僅かさえも悲観的になることはないと思うのです。
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