新潟がW杯の試合会場になったことが転機に
池田「1つの転機になったのは、新潟がW杯の試合会場となり、4万人収容のスタジアムができたことです。これが大きかった。新潟の人たちは4万人が一気に集まった、ある種異様な空間を体験したことがなかったんです。私もその1人です。ああいう空気はアリだな、とみなさん思ったのではないでしょうか。つまり、スタジアムを満員にしようとたくさんの方が来てくれたんです」
広瀬「新潟でできたんだったら俺達でも、っていうのは実はアリでね。多分、そうやって手を上げたところが少なからずあると思っています」
池田「最近の(クラブ)はそうだと思いますよ」
広瀬「ですよね。川淵さんは47都道府県すべてにJクラブを作ると言っていましたけれど、そうなると今の40クラブから増えることになる。そういった場合、これから創設されるクラブのほぼ100%は、大都市ではなく、大企業がスポンサーになるのではなく、地域が立ち上がるのがメインになる。それのフロントランナーとして、新潟が立ち上がってくれた意味はすごく大きかった。いわゆるビジネスモデルとして。
それに対して、FC東京はキャピタルシティーにある。親会社ではありませんけども、東京ガスや東京電力(2011年にスポンサー撤退)などの大企業がバックについていらした。そういう中で、経営の成果としてゴールを設定する時に、今までの延長上でよかったのか、それともここで変えなくてはいけなかったのでしょうか」
村林「まず僕が辞めたのは変えなければいけないからです。FC東京は98年に会社を作って、6年くらいは順調でした。ただここ6年間は足踏み状態。それが僕が退任した一番の大きな理由です。僕が手抜きしていて、伸びなかったならまだ直しようがあるでしょうけど、一生懸命やって伸びなかったので、何かやり方変えなきゃいけないだろう、と感じました。でもそれがわかっていれば、自分で変えてるんですけどね」
広瀬・池田「(笑)」