「何もない田舎町に住み、過酷な環境とラフプレーに苦しんでいた」――西山幸之カメラマン
そのままサントスにいても、出場機会はもらえそうになかった。選手として成長するためには、試合に出なければならない。出場機会を求めて、別のクラブを探した。
最初に向かったのが、ブラジル南部パラナ州の小さな農業都市カンバラに本拠を置くマツバラ。農業で成功した日系人が1974年に創設したクラブだ。ここではレギュラーとして常時出場したが、悪路を長時間バスで揺られながら移動する過酷な日程と対戦相手の限度を越えたラフプレーに苦しんだ。
当時、カズを密着取材したカメラマンの西山幸之氏は、次のように述懐する。
「とにかく、移動が大変だった。道路のほとんどは、未舗装で穴だらけ。長時間バスに乗っていると、体がガタガタになった」
「カズのドリブルは十分に通用したんだけど、サッカー後進国からやって来た若い日本人に抜かれるなんてブラジル人としてのプライドが許さないから、無茶苦茶なファウルをして止めるんだ。プロレスでいうウエスタン・ラリアートを食らったことさえある。試合が終わると、いつも体中アザだらけになっていた」
マツバラの本拠地カンバラでの生活も、決して楽しいものではなかった。
「本当に田舎で、何もない町。カズは、町に一つしかない粗末なホテルに住んでいた。休みの日にも気分転換をすることができず、かなりつらい思いをしていたようだ」
1987年10月にマツバラとの契約が満了すると、北東部アラゴアス州の州都マセイオに本拠を置くCRBに入団した。
マセイオは、エメラルド・グリーンの海が広がり、美しい海岸線が続く人口100万人近い都会だ。カズはすぐにこの町が気に入った。クラブの雰囲気にもすんなり溶け込み、ほどなくレギュラー・ポジションを獲得した。