スタイルに影響を与えた母国・ブラジル
ただ、遠藤という希代のプレーメーカーのサッカー人生を振り返れば、ブラジルは切っても切れない縁を持つ国だ。
2011年にアジアカップで優勝した直後にも「これでコンフェデで一足早くブラジルを知る事が出来るのが収穫」と話していたが、王国に対する憧憬の念は、人一倍強いものを持っている。
「僕らの小さい頃は、サッカーと言えばブラジル。子供の頃、ブラジルの試合を見る機会も多かったし、鹿実のコーチもブラジル人だったので影響は大きい」。鹿児島実業時代には2度に渡って単身で短期留学をし、王国の空気を吸いながらボールを蹴った。
飄々としたプレースタイルからは想像もつかないが、しばしば口にするのがメンタル面の大切さだ。
「上に行きたいという向上心とサッカーに対する情熱を一番、学んだ」
サンパウロ州の中堅クラブ、イトゥアーノとアトレチコ・ソロカバの2クラブでは、「監督から身振り手振りで教わった」(遠藤)というが、同時に「一人で行ったけど、意外に生活出来るなって思った」。ブラジルでの生活で耳にした片言の単語は、クレバーな司令塔の頭にインプットされていたのだろう。
「ブラジルという国でブラジルと対戦するのは過去になかったので、良い経験になる。イタリアも個人的に初めてだし、メキシコも面白いチームなのでコンフェデは楽しみ」。強豪国がひしめくグループに入ったことは、背番号7にとって畏れではなく喜びそのものだ。
「フリューゲルスでもサンパイオとかセレソンの凄い選手に影響された」というデビュー当時を含め、フィールドプレーヤーでは唯一出番がないままに見つめたワールドカップ・ドイツ大会でのブラジル戦など、遠藤のサッカー人生の節目には常に王国の陰がクロスする。
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