まったく信じられないサポーターの共闘
フットボールは世界各国でヨーロッパ化の象徴としても機能してきた。それはむしろピッチの外で影響力を拡散している。宗教政治からの脱却を目指したトルコ革命の最中に、オスマン=トルコ政府の追手からアタテュルクをクラブにかくまって助けたというのがフェネルバフチェのクラブの歴史の自慢のひとつ。
労働者階級よりのサポーターに占められているベシクタシュ最大のサポーターグループ「チャルシュ」は、ドイツのザンクトパウリやスコットランドのセルティックのように左派系で知られている。そしてガラタサライは、もともとはフランス語を教えるための学校から始まったサッカークラブでありいわば「リベラル」である。
【動画】デモの様子
欧州や南米のクラブのサポーターの皆が皆、日本のように政治から隔離されてサッカーをスポーツとして純粋に楽しんでいるというわけではない。宗教的であったり民族的であったり、そして政治的な背景を色濃くもつほうが、どちらかというと当たり前なのである。
これがイスラム圏になるとサッカーそのものが近代=欧州の哲学を意味することがある。噛み捨てられたヒマワリの種が巻き散らかされたスタジアムの外で、永遠とも思える戦いを続けてきたイスタンブールの3大チームとて同じである。
行き過ぎた宗教政治により、女性にスカーフを強制され、さらにはスタジアムまでもがタブーとなるかも知れない。酒も禁止、表現の自由も規制されアラーを冒涜するものは拘束される。そんなトルコになりたくないと理由から、まったく信じられない犬猿の仲のサポーターの共闘とあいなったわけである。