イラクサッカーの印象とは?
――イラクのサッカーにはいい印象があったんですか?
「そうだね。エドゥーが率いていた時の印象がある。94年W杯最終予選で日本はイラクに引き分けて出場権を逃した(ドーハの悲劇)。あの試合の監督(アモ・ババ)はエドゥーの知り合いだ。同点ゴールを決めた選手(オムラム・サルマン)はエドゥーが率いていた時にもいた。
もちろん日本代表監督の時もイラクのサッカーの情報は得ていた。イラクは(2007年)アジアカップでも優勝している。
あの時の監督ビエイラ・ジョルバンはブラジル人で、ぼくの友人だった。今回引き受ける前にも彼に話を聞いた。エドゥーの後も、多くのブラジル人監督がイラクでは結果を残しているんだよ」
――実際にイラクに行った感想は?
「戦争があっても、アジアカップで優勝するような国なので、多少なりともインフラが整っていると思っていた。
ところが、ぼくは楽観的過ぎた。イラクには芝のグラウンドさえなかった。住友金属で日本に行った時と同じだ。あの時の日本はアマチュアだったけれど、イラクは一応プロリーグだからね。
戸惑ったのは予定が決まらないことだ。戦争のトラウマかもしれないが、予定を隠さないといけないと怯えているように見えた。先の予定を決めることを恐れているようだった。
それでは困ると何度も説明したよ。カタールを本拠地として使うようになってから、状況は良くなった」
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