UAE、中国からも代表監督の打診を受けるも……
――前回会った時(2010年W杯期間中)、「孫(長男・元鳥栖のジュニオールの息子)が出来たので、しばらくブラジルにいたい」と言っていました。イラクの監督に就任するというニュースを聞いた時は驚きました。
「そうだろうね。最初はアラブ首長国連邦(UAE)代表と中国代表という2つの国から打診があり、アントニオ(・シモーエス、ジーコの代理人)が話を進めていたんだ。
UAEからは条件提示もされ契約寸前。向こうからは現地に来て契約締結しましょうという連絡が来た。
ところが、その1週間後のことだよ。(フランク・)ライカールトが監督に就任したことを新聞で知ったんだ。あのまま行っていたらひどいことになったろうね(苦笑い)。
中国代表も条件を提示してきたけれど、交渉相手が中国サッカー協会の人間ではなかった。協会から正当な依頼を受けて動いている代理人かはっきりしなかった。UAEの件があるから、当然疑うよね。
一方、イラクは、かつて(ジーコの兄の)エドゥーの通訳を務めていた人間が窓口だった。最初、彼はエドゥーに監督の話を持って来たんだ」
――えっ? 第一候補はエドゥーだったんですか? エドゥーは昔イラク代表監督をやっていましたよね(85年にイラク代表監督に就任。86年メキシコW杯出場にチームを導いた)。
「ああ。エドゥーは最近は監督としての仕事はしておらず、ぼくを補佐しているという返事をしたんだ。そこでぼくに監督をやらないかと声が掛かった。
イラクとの交渉が進んだ理由は、相手がエドゥーと25年前からの付き合いがある男だったことだな。間違いなく協会の意向で彼は話をしていた。
そして、イラクの選手のポテンシャルは高い。彼らの力を発揮させればいい結果を出せるはずだった。問題は金銭面だった。
最初の提示は非常に低かった。様々な条件を詰めて折り合うまで約1ヶ月半掛かった。契約書にサインして、現地に入ったのはアジア三次予選開始の5日前だった」