安易に発してしまうことの危険性
以下は、筆者の見解になる。断っておくが、坪井氏はザッケローニの定義について一切否定していないし、筆者も同様にその定義に異を唱えるものではない。少なくとも筆者に、代表監督になる人物の言葉の定義に口を挟むようなバックグラウンドはない。
ただ、例えばボールやスパイク、インサイドキック、アウトサイドキック、スルー、クロスボールといったほぼ万国共通の単語と同様に『インテンシティ』を使うと、人によっては違うものをイメージしてしまうということは指摘しておきたい。
こうした状況で何が問題になるのかというと、主に指導の現場だろう。単語の定義がハッキリしない、どういう状況が「インテンシティが高い」と言えるのか正確に理解されていない状態で、何となく流行っているからという理由でインテンシティという単語を使って子どもたちに指導してしまったら?
例えば、単なるプレッシャーを掛けることがインテンシティであると考え、さらに「インテンシティが高い=善、インテンシティが低い=悪」という単純な二元論に落とし込まれ、要するにシゴキを正当化することになりはしないだろうか?
一旦、インテンシティという単語をきちんと定義づける必要があるように思う。書き手各々の解釈ではなく、外国人であるザッケローニが使用した解釈を丸呑みするのでもなく、日本語圏におけるインテンシティの定義付け。
もちろん、日本代表監督が使用したフレーズであり、重要な概念だとは思う。しかし、そんなに急いで流通させるべきなのだろうか? インテンシティという言葉がなくても、これまで不便はなかったはず。定義があやふやなのであれば、使用しないでも表現できるプレーに関しては、とりあえず従来の表現を使用すれば足りるのではないだろうか。
【了】