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サー・アレックス・ファーガソンの奇妙な冒険〈番外編〉「彼はどこにでもいて、どこにでもいる」第二回

text by 東本貢司 photo by Kazhito Yamada / Kaz Photography

グラスゴウから盟主の座を奪い取る

サー・アレックス・ファーガソンの奇妙な冒険〈番外編〉「彼はどこにでもいて、どこにでもいる」第二回
アレックス・ファーガソン【写真:Kazhito Yamada / Kaz Photography】

 今でもそうだが、当時のアバディーンには現在のチェルシー、マンチェスター・CやパリSGのような莫大な財源などなかった。一方で、ちょうどドイツ(バイエルン・ミュンヘン)、スペイン(レアル・マドリード、バルセロナ)などのように、スコットランドでも国内の精鋭、優秀な若手がこぞって“グラスゴウ”を目指し、あるいは漸次吸い上げられてしまう。そもそも、“異邦の助っ人”をころころと雇う習慣などなかった時代である。

 つまり、急激な戦力増強など望むべくもない状況下で、ファーガソンはあっという間に盟主の座をグラスゴウから奪い取り、北の辺境の町に栄光の日々をもたらしたのだ。だとすれば、その成功は、90年代以降のバブル景気のプレミアリーグで築いてきたものよりも、はるかに価値のあることがわかるだろう。すべては、そこから始まっていたのである。

 では、ファーガソンはどうやってそんな“難題”をクリアしてみせたのか。一言でいえば、プレーイングスタッフの「意識改革」ということになるのだが、そのレベルたるや規格外、常識外れの厳しさ――「ヘアドライアー」の異名に代表されるように、ファーガソンは一切の妥協を許さず、常にベストのベストを強要する“恐怖”の指揮官だった。

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