サッカーはミスのスポーツである
本件の要点は、「ブーイングは間違えることもある」ということだ。当たり前のことだが、サッカーは常に目まぐるしく局面が移り変わるスポーツであり、素人目にはわからないレベルでいろいろな状況が生じることも多い。映像で見返しても、映像の角度によってはハッキリしたことはわからない部分もある。
上記したようなことは、筆者が記者席で見ていた限りではすぐにはわからなかった。遠目から見てラフな接触があったようには見えなかったし、広島の選手たちが比較的フェアであるという先入観もあったため特に問題には思っていなかった(阿部の流血に対してはもちろん心配したが)。
そうした先入観が間違いであることは、十分にあり得る。「魔がさす」ということは誰にしもある。ある瞬間に激高してしまい、つい相手に手が出てしまうこともあるのかもしれない。それがいつ起こるかは、誰にもわからない。
そういう意味で、こうしたプレーには一つひとつ検証が必要だ。そして筆者の検証の限り、西川にせよ石原にせよ、あれほどまでに湘南サポーターから批判されるような行為には及んでいないように思う。
本稿は、湘南サポーターを批判するために書いたものではない。何しろ、筆者もこのプレーが起こった瞬間には、正確な理解はできていなかった。選手に直接聞き、映像を見返したうえでようやく納得に至ったのだ。瞬間的に判断できなくても、仕方がないものだと思う。
ただ、この件は昨今の誤審騒動にも通底する部分がある。この件で注目すべきは、主審はファウルという判定をしていないこと。西川は古林に対してファウルを冒してはいないし、西川が激高したシーンもある程度は致し方ない(警告を取るほどではない)と判断したのだろうし、石原が故意でないと判断したからこそ主審はファウルすらとっていないわけだ。
主審が誤審をするケースと同様、サポーターが誤認で相手選手や主審を批判するケースもある。昨今の誤審騒動においては、実際に明らかな誤審も見受けられるため、なかなかこうした言い分が受け入れられるのは難しい。
ただ、誤審のケースで「主審も人間なのでミスがある」と考えるのと同様、「サポーターの主張も必ずしも正しくない場合がある」ということは抑えておきたい。むろん、メディアにおいて筆を取る自分自身が強く自戒せねばならないことは大前提として。
【了】