高い個人能力に依存し過ぎたことで生じた綻び
名古屋には、残念ながらそうした動きは皆無である。それはこれまでもさまざまなところで書かれている通り、ストイコビッチ監督が普段からほとんど布陣を組んだ練習を行わず、さまざまなシチュエーションを想定した戦術練習もやらないということに関係している。
それでも、ここ数年の名古屋は勝負を制してきた。それは楢崎正剛や田中マルクス闘莉王、ダニルソンに玉田、ケネディらに代表されるように、対戦相手よりも群を抜いて個の力のある選手が躍動していたからである。
では、なぜその戦いぶりに陰りが見え始めたのか。個に依存した戦い方は、定期的な血液の交換(選手の入れ替え)が不可欠である。何年も同じメンバー、同じ戦術で戦っていれば、当然チームも勤続疲労を起こし、パフォーマンスは低下していくものである。それによって、かつてほど個の能力差を対戦相手に生かせない状況に陥ってしまっているのだ。
「疲労からなのか、集中力なのか、予測のなさなのか・・・。でも、結局そういう少しのディテールのところが勝敗を分けるのがサッカー。いまのうちには、それが足りない。鹿島戦も立ち上がりはみんなで頑張ってやれていた。
試合の中でできている時間帯もある。だからこそ、もっと長い時間全員で攻めて、全員で守るという意識をみんなが持たないと」。小川はあらためて、チームの組織的にプレーする感覚の欠如を嘆いていた。
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