始まりは3人でのポスティングから
創立以来15年目のシーズンに突入するFC東京はどこへ行こうとしているのか。FC東京2011VISIONに掲げていたSOCIO会員3万人、世界市場でのマーチャンダイジングビジネス展開は実現せず、2012年には、より地に足の着いた2015VISIONを打ち出した。
しかし日本サッカーを収縮させないためにも、世界に通用するクラブになるという目標を捨ててはならない。そしてその位置に近づくためには、前提としてまずは国内規模でのビッグクラブになっておかなければならない。
FCバルセロナの現在の興隆は、2000年代における経営改革がもたらしたものだが、それ以前にも百年の歴史があった。そのことを考えれば、まず現実にクリアすべきは、味の素スタジアムをカンプ・ノウのように満員にすることだ。
FC東京は98年に東京フットボールクラブ創設協議会という名で本格的な活動を始め、社員が浜松町の東京ガス本社に集まっては激論をかわしていた。同年10月1日に株式会社を設立、旧JFL最後のシーズンに東京ガスFCの名で優勝し、チームは99年のJ2にFC東京として参入することになる。
98年当時の社員は10人にも満たなかった。そのうちの1人であり現在の運営部長である小林伸樹は城福浩(現ヴァンフォーレ甲府監督)を含む3人で、朝の9時から夕方の6時までポスティングした。配布物は、ワープロで打ち輪転機で刷った手作りのフライヤーだった。場所は江戸川区陸上競技場の近辺。とにかく足を使うしかなかった。
読者プレゼントを携え、女性に人気の佐藤由紀彦をセールスポイントに、あまたあるメディアに売り込んだ。サンバを導入したマッチイベント『ブラジルデー』はマスコミ受けもよく、人気週刊誌に2ページの記事が掲載され、スポーツ新聞には1ページの特集記事としてアマラオの写真が載った。
年に一回ならサンバの応援もいいだろうとゴール裏は鷹揚に構えていたが、ファンが増えるとサンバが不評になっていく。ついにはサンバ隊とサポーターとの間でけんかが始まり、2005年からは試合中のサンバの応援はできなくなった。現在はバルバッコアという人気ブラジル料理店とコラボレーションしてグルメの方向から攻めるに留まっている。
「とんがっているのがウチのサポーターのよさですが、よくも悪くも若干丸くなってきた。トラブルは困るが、スタジアムの空気をつくっているのはやはり彼ら。このよさを理解しないといけないと思います」(小林運営部長)
西が丘サッカー場(現味の素フィールド西が丘)を主戦場にしていた99年の年間平均観客動員数は3498人。J1に昇格して国立競技場で10試合を開催した00年は1万1807人。味スタに移転した01年以降はJ2降格の11年を除き2万人台をキープしている。しかし言い換えればこれは横ばい、頭打ちだ。
スタンドを埋める人数は増加したが、当初の武器だったスタジアムに張り詰めるエッヂの利いた空気は薄れて独自性を見失いかねない状態にある。踊り場の苦しみと言える。