盲信的なファンとメディアの持つ責任
中島 ラウールの話がありましたけど、Jリーグって敷居が高い。よく言われるのは「地上波に出ていない」「誰が出ているか知らない」。売る側としたら、レベルを下げるというか入口を作ってあげなきゃいけない。何の商売でもそうだと思いますが、ラウールだと「みんな見たことある、スペイン代表のすごい人だ。じゃあ行ってみよう」となる。
木崎 サッカーがサブカル化している部分は思います。ある一定の層には厚いんだけど外との温度差がある。中の人は十分熱いし、マーケットになっている。外との温度差をいかに埋めるのかが一番の問題だと思う。僕はメディアの視点で思うのは、それがラウールなのかっていう話にもつながるけど、情報を知りたいという欲求が違う。
もちろんヨーロッパの全員じゃないんだけど「そのクラブのことならなんでも知りたい」という人と、もうちょっと引いた立場で応援、家族のような感じで応援している人。「情報なんていらない。勝ってくれればいい」といった、お母さんのような立場の人がすごく多い気がします。
植田 よそのクラブのことを悪く言っちゃいけないから、あえて自分のクラブで言うと、盲目的にFC東京が好きなだけでホントにクラブのことを考えていない奴が多いよね。シーズンオフになると、「えっ! あいつが辞めちゃうの? 辞めないでほしい」って声がいっぱい上がる。おいおい、こいつ出番なくて今年3試合しか出てなかっただろ、こいつのこと考えたら出た方がいいじゃんって。
木崎 そこはメディアの責任もあると思うんですけど、(そういう情報をきちんと出せば)現状が浮き彫りになると思うんですね。そうなっていないから、ファンも盲目的になる。それは鶏と卵かもしれないし、両方責任はあると思います。そういうファンの存在が、サブカル化をすごく強めている気もします。
植田 Jリーグが始まった頃、メディアの人たちから死ぬほど叩かれた。なぜなら、オレの方がサッカー知ってるから。当時の記者って、(サッカーとは関係ない)部署から配属された人だからサッカーを知らないし、選手ともつながりがなかった。今のメディアの人たちってサッカー好きから始まって、高じて職業にしている。だから、やっぱりファンとかサポーターより知識が上なわけ。昔と違って今のメディアの人たちには、当然リスペクトもあるしオレたちの知らない情報も知っていたりする。『サッカー批評』だってすんごく楽しく読めるし。
――ありがとうございます。
植田 だけどこの本みたいな掘り下げた記事を、スタジアムにいる人がどのくらい読んでいるか。もっと言うと、その人たちが読みたい本かというと違うのかもしれない。そこを考えないのがおかしい。サッカーと言えばヨーロッパだ、って言ってJリーグをバカにする。
豊川 あと言われるのは、応援歌とかを作ったりした時に「それはどこどことかぶっている。一緒です」みたいなこと。知らねーよ、と。どこがやっているというのはオレらは知らないけれど、千葉でそれが定着したら自分たちの歌にすればいいんじゃないのって。
植田 東 京 は『Yo’u ll never walk alone』を歌っていて「リバプールの真似」とか言われるけど、セルティックでもドルトムントでも何十クラブが歌っている。リバプールのファンが亡くなった時、ACミランがチャンピオンズリーグファイナルで、そいつらに向けて『Yo’u ll never walk alone』を歌ったんです。その時に、リバプールのサポーターに追悼で歌おうって言って、10人くらいで。そこから東京でも始まって。だから悪乗りの歴史、サッカーをリスペクトする歴史でもあるんだよね。それを「リバプールの真似だ」と言われるとね。まあ確かに真似ではあるけどさ、もっと言うとリバプールに捧げたACミランの真似なんだよ。人には歴史があるし、クラブの応援にだって歴史がある。