サッカーを観る側は、ピッチに何を求めるのか
Jリーグは今年で開幕から20周年を迎え、経験を積み重ねながら、熟成されたリーグに成長してきた。J1は2005年から1シーズン制が採用され、優勝争いや昇降格を争う戦いを継続する中で、大人びた試合を見る機会も増えた。ドーハの悲劇で経験したような失点シーンは、もはや見ることはないだろう。
指導者、選手、サポーターなど、Jリーグを取り巻くすべての人たちが成長し、今戦っている試合の意味や、一つひとつのプレーが意味することへの理解度は、この20年間で飛躍的に高まってきている。無闇矢鱈にシュートを打つこともなければ、一発でタックルに行かずディレイさせて守ることがどれだけ重要かもわかっている。
アウェイなら引き分けでもOKという試合があることも理解しているし、前半は抑えてスタートして0-0で後半へ、というゲームプランがあることも知っている。
これらはすべて、Jリーグというプロリーグが20年間継続されたことで、共有できるようになったことだ。日本サッカーのレベル向上に、Jリーグが果たした役割はとてつもなく大きい。
しかし、2013年5月11日、埼玉スタジアムで行われた浦和レッズ対鹿島アントラーズの試合からは、そうした“大人びた”印象をあまり受けなかった。逆に、“この試合に勝ちたい”という純粋な両クラブの気持ちがピッチ上で表現され、観るものに“闘い”を意識させた好ゲームとなった。
興梠の決めたゴールはオフサイドだったかもしれないが、彼がゴール後に見せたエンブレムにキスをするパフォーマンスは鹿島時代には見られなかったものだ。本人が「考えていませんでした。咄嗟に出ました」と語った通り、鹿島から浦和へ移籍して初めての対戦ということ、そして何より、スタジアムを埋めたサポーターが作り出した雰囲気が、彼にそうした行動を起こさせたのだろう。
果たして、サッカーを観る側はピッチに何を求めているのか。
Jリーグが20年の中で経験と蓄積を得た一方で少し失われてしまったプリミティブな欲求が、この日のスタジアムには詰まっていた。20周年記念試合だからこそ、一度立ち戻って考える必要があるのかもしれない。サッカーが本質的に持つ“闘い”こそが、観客へ直截的に訴えかけてくるのだと。
【了】
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