プロフィール
島崎英純
1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から06年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務める。2006年8月よりフリーとして活動し、現在は、浦和レッズ、日本代表を中心に取材活動。浦和レッズマガジン編集長としても活躍する。
田中滋
1975年、東京都多摩市生まれ。上智大学文学部卒。一般企業の会社員からフリーランスのライターに転身。現在はJ’sGOAL、エルゴラッソにて鹿島アントラーズを担当する。著書に『鹿島の流儀』(出版芸術社)、『ジャイアントキリングを起こせ』(東邦出版・共著)、構成に『センターバック専門講座』(東邦出版・秋田豊著)など、がある。
島崎「鹿島には負けているイメージしかない」
編集部「今週末に行われる浦和レッズvs鹿島アントラーズは、Jリーグ20周年記念のアニバーサリーマッチとして開催されます。タグマ!では、浦研プラスとGELマガの配信を行っており、良いタイミングですので浦研の島崎さんとGELマガの田中滋さんに、浦和と鹿島との対戦についてお話を伺いたいと思います。まず、お二人がチームの担当記者になられたのはいつ頃ですか?」
島崎「僕は2001年の途中からですね」
田中「僕は2008年からです。3連覇の2年目ですね。それまでも担当ではなかったですが、一番好きなチームだったのでよく見ていました。埼スタ行ったり。アルパイが退場した試合も見てました」
島崎「ありましたねぇ、2005年の開幕戦(笑)」
編集部「お二人が印象に残っている試合を教えて頂けますか? 島崎さんは担当歴が長いので色々思い出深い試合があると思いますが」
島崎「田中さんには良く言っているんですけど、鹿島には負けてるイメージしかないんですよね。特にカシマスタジアムに行ったときは、メディア側もびびってますから。試合前にビジョンに鹿島の歴史が流れるんですけど、そこで歴史の違いを痛感させられて。そんな中で一番印象に残っているのは、2004年の2ndステージです。カシマスタジアムで勝利した試合ですね。達也が2点くらい取ったのかな」
田中「田中達也が2点取って、その後岩政、小笠原が取って同点に追いついて、最後はエメルソンですね」
島崎「当時はエメと達也の2トップが良かったんですが、相手のホームでその力を発揮することができて、はじめて苦手意識が薄れた印象があるんですよね。そこからレッズもタイトルに絡むようになったので」
田中「ただ、2年連続でナビスコの決勝に両チームは進出してますよね」
島崎「1年目は勢いはありましたけど、軽くあしらわれました(笑)。ただ、ナビスコも嬉しかったけど、やっぱりリーグ戦で勝つのは意味が違いますから」
田中「それはタイトルを獲ったことがあるチームだから言えるんですよ(笑)」
島崎「まあそうなんですけどね。どちらにしても、2004年の2ndステージがレッズとして一つのターニングポイントになった印象が強くありますね」