韓国のサッカーと帰化の問題
ただ、韓国サッカーや社会的な意識も過渡期を迎えていることを感じさせる意見もある。
「異文化共生という時代の流れから、“第2のエディーニョ”はすぐにでも現れるのではないか」という分析や、「純血主義では本当に強い代表は作れないのではないか」といった疑問がそれだ。
さらには、中東・カタールの帰化事情に接した韓国代表DFイ・ジョンスからはこんな発言も飛び出した。
「チーム(アル・サッド)の選手に“帰化した選手があまりにも多くないか”と聞いたら、“フランスでもみんなそうだよ”という返事が返ってきました。自分の質問がちょっと恥ずかしく感じました」
実際、カタールではウルグアイ、ブラジル、ガーナ、クウェート、イエメン、ケニア出身の選手が同じユニフォームを着て代表として活躍している。グローバルな往来が当たり前となった現代において、サッカー選手の帰化は当たり前になっていくのであろうか?
アジアの虎と呼ばれる韓国。ナショナルなものに強い思い入れを抱くこの国が、サッカーと帰化という問題を取り巻いて、どのように方向転換していくか気になるところだが、1つだけ確かなことがある。
それは、「FOOTBALL HAS NO BORDERS(サッカーに国境はない)」という事実だ。ひとつのボールを中心に、世界中の人々が笑い、泣き、頭を抱え、狂喜に沸く。サッカーがサッカーたる由縁は、そのボーダレスな性格にあると言ってもいい。
実際に、サッカーを通した人的、物的な交流は年を追うごとに増えている。アジアの選手が次々と海外に飛び出し、日本でも世界中のサッカーをリアルタイムで観戦することができるようになった。
そして、経済的な世界統合の進む中、人々の政治意識や帰属意識も変化を遂げつつある。しかし、ナショナルな対抗心や誇りを鼓舞するという意味で、サッカー以上のスポーツはないというのもまた事実だ。特に、日本や韓国は、良くも悪くも血統や伝統、共同体意識というものが強い。それは、歴史的に形成されてきた風土だと言ってもいいだろう。それゆえに、帰化というテーマは、これからもセンシティブな問題であり続ける。
李忠成をはじめとする在日フットボーラーたちは、そのことに誰よりも気づいている。そして悩み、葛藤し、それぞれの道を歩んできた。その道のりは、試合終了のホイッスルが鳴らない、エンドレスなゲームのようでもある。温かく見守るファンたちと、心ない罵声を浴びせる人たちの間で、今でもその試合は続いている。
ただ、ひとつだけ言えることは、そこには記録がくっきりと残っていくということだろう。それは、アイデンティティとサッカーの間で揺れ動いた、在日フットボーラーたちの“戦いの軌跡”だ。それを想像したとき、私たちサッカーファンが得ることができるのは、ボーダレスなスポーツであるサッカーの新しい可能性なのかもしれない。
【了】