人生においては、本来の自分と異なることも学ばねばならない
――ガンバではまさにそんな存在であると思います。
「西野朗在任中のガンバは、ずっとチームを変えなかった。少なくとも私が来日して以降は、同じチームで戦って常に上位にいた。そしてダイナミックなサッカーを実践していた。
選手はプレーをよく知っている。遠藤をはじめ二川、橋本、明神智和、加地、山口智(現ジェフ千葉)……。以前はシジクレイがいた。マグノ・アウベスもいた。フェルナンジーニョやアラウージョもいた。マグノ・アウベスは、私が知るJリーグのブラジル人ではベストのひとりだった。
監督がプレースタイルをずっと変えなかったことは、大いに評価すべきだ。いいときも悪いときも、彼らは同じスタイルを保ち続けた。そしてさらに驚きは、クラブ首脳が監督をずっと代えなかったことだ。
他のクラブはすべて監督を交代している。だが選手にとっては、頻繁な監督の交代は難しい。監督が代われば、次にどの方向に進むのかが見えなくなるからだ。スタイルも変われば哲学も変わる。適応は簡単ではない」
――アジアの頂点に立った(2008年アジア・チャンピオンズリーグ優勝)のも、そうした継続性の成果であったわけですね。
「努力が報われた。ガンバのようなチームが優勝したことは、すべての人間にとって喜びであり、クラブや会長、監督にとっていい見本になった。監督や選手を簡単に代えるのは良くないことが、彼らにも分かっただろう」
――その年のクラブ・ワールドカップでも、準決勝でマンチェスター・ユナイテッド相手に好勝負を演じましたし、アレックス・ファーガソン監督も遠藤を高く評価していました。
「遠藤をうまくコントロールできなかったとコメントした。彼は遠藤がもっと前でプレーすると予想した。それでうまく抑えられなかったと。ガンバがあれだけ善戦できたのも、遠藤が自由に動けたことが大きな理由だ。
遠藤なら、ボールをしっかりコントロールするヨーロッパのチームに入っても、同じように落ち着いてプレーできるのは間違いない。ただそれだけで十分かどうかは別の問題だ。それ以上のことをすべきであることを、彼自身がよく理解するべきだ。戦いではもっと強くなければならないし、守備もしっかりやらねばならない。そこができないと、高いレベルまでは到達できない。
性格的には、彼は攻撃に向いているのだろうと思う。しかし人生においては、本来の自分とは異なることも学ばねばならない」