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在日と帰化 アイデンティティと格闘する在日フットボーラーの軌跡(前編)

text by 河鐘基 photo by Kenzaburo Matsuoka

張本勲が経験した激しい葛藤

 例えば、戦後の日本に彗星のごとく登場した力道山である。巨漢の欧米人プロレスラーをなぎ倒すその強さに日本国民は英雄と沸きあがり、「日本プロレス界の父」「天皇の次に有名と言われた男」と呼んだ。そんな力道山の出身地は実は現在の北朝鮮であり、本名は金信洛だった。

 日本に空手を広めた極真空手の創始者・大山倍達。漫画『空手バカ一代』の主人公として知られ、韓国でも『風のファイター』としてその人生が映画化されたが、彼も在日だった。

 そして、日本のプロ野球で通算3085安打の記録を達成した強打者・張本勲と、400勝を記録した金田正一。日本プロ野球界で、今も伝説の名選手として尊敬を集める2人も、在日コリアンだった。

 だが、偉大なる先人たちはいずれも本名で堂々と活躍することはできず、その出自を語ることさえもタブーとされる風潮があった。実際、前出した偉大な選手たち以外にも、プロレスやボクシングなどの格闘技や、日本のプロ野球界で活躍した在日スポーツ選手たちは多かったが、皆、「通名」と呼ばれる日本名を使用してプレーせねばならなかった。

 ただ、それも仕方がない。プロスポーツはお金が絡む興業でもあり、人気商売だ。昔は今よりも在日差別があり、本名を名乗ることは大きなハンディキャップを背負うことでもあった。成功のためには出自を公言せず活動することが必要だった。

 むしろ張本勲は、帰化せず、在日であることも隠さなかったため、現役時代に多くの困難に見舞われている。現役を引退した後でもその記憶は消えず彼をしてこう語らせている。

「張本勲です。本名は張勲といいます。いつも自己紹介するときに複雑な怒りがこみあげてきます。世界広しと言えども、自分を紹介する時に、2つの名前を使うのは在日同胞である我々の民族だけではないでしょうか」

 彼は野球選手として活躍すればするほど、民族を侮蔑する発言を浴びせられた。さらには、その社会的雰囲気に流された暴漢に襲われた経験もある。張本勲選手が経験した激しい葛藤は、程度の差はあれ、当時の在日アスリートたちが皆共有していたものだったのだ。

【中編へ続く】

初出:フットボールサミット第7回

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