偏屈者――。
グアルディオラが師と仰ぐ男、ファン・マヌエル・リージョには、こういった印象を持つ方が多いのではないでしょうか。
リージョは、17歳からサッカー監督としてキャリアをスタートさせ、29歳にしてリーガ1部で指揮を執ったほどの人物。
グアルディオラが選手時代に、相手チームの監督であったリージョに話しかけたことで、2人の師弟関係は始まりました。またバルセロナ内でも、スポーツディレクターとしてグアルディオラを、監督としてリージョを、といった構想が挙がった時期もありました。
『フットボールサミット』でバルセロナ特集をするならば、リージョにインタビューをぜひお願いしたい。グアルディオラがいなくなったバルサをリージョはどう見ているのか。その思いで、現地ライターさんによるインタビューが実現したわけですが、インタビューは読んでいるこちら側が眉間にしわを寄せるほど、禅問答のような内容だったのです。
例えば、現在のバルサの戦術について、リージョは監督ができることについて語ります。
「監督ができる最大限のことは、選手の特徴と結びつく“何か”を組み立てることにある。バルサのように今のような選手たちがいる限り、その“何か”というのはすでに我々に馴染みのあるものと似たものになってくるはずだ」
その“何か”が何なのかを知りたいのですが、リージョは教えてくれません。
さらに、ビエルサの戦術的スキームをどう分析するか、といった質問についてはこう答えています。
「そういったものは存在しない。選手自体が戦術だ。バルサでプレーするような選手というのは、驚くべき才能を持ち、チームに足りないものを補うことができる」
戦術を完全否定です。
この後も難解な回答が続きますが、このリージョのインタビュー、実は読めば読むほど味わい深くなってくるのです。
バルサの哲学の何たるかが、このインタビューを読めばわかってくるのかもしれません。
そしてリージョはインタビュー終了後、一人満足感を漂わせます。
「このようなインタビューに応じることができて光栄だった」
読者を置き去りにしながら語り尽くすリージョは、偏屈であり、偉大でもあるのです。
また「ジュニアサッカーを応援しよう!総合サイト」では、本書で登場する、近代バルセロナの栄光を築いたヨハン・クライフのインタビュー記事を一部紹介しています。そちらもあわせてご覧ください。
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