海外挑戦の概念を覆した本田
「名古屋にいた頃の圭佑は、海外へ出てくきっかけを作りたがっていた。どこにいけばチャンスが広がるかを真剣に模索してたんじゃないかな。確かに俺も『オランダは若いうちにいろんなサッカーを学ぶにはすごくいいところだよ』という話はした。名古屋の監督がセフ・フェルホーセンだったこともあって、実際にオランダが浮上したんだよね。セフがいたからこそ、圭佑はオランダに行けたと思う。
もともとセフも小川(佳純)や阿部(翔平)の方がいいと言っていたみたいだけど、最終的に圭佑を推薦してくれた。VVVフェンロのハイ・ベルデン会長も取る決断をしたし、現場の監督も彼を評価した。みんなのサポートがあったから、圭佑は自分の道を切り開けたんだろうね」
本田が名古屋からVVVフェンロへ赴く前、日本サッカー界では「海外移籍は代表や国際大会で活躍した選手がするべき」という価値観が一般的だった。彼はそれを覆した最初の例といっても過言ではない。
本人の中では「Jリーグ3年で日本を出て行く」と決めていたようだが、国際的な実績が皆無の選手が欧州へ出ていくのは極めて異例だった。それが実現したのも、数多くの先輩たちが道を切り開き、環境を変えていったことが大きい。日本サッカー界の長年の積み重ねがあったからこそ、本田が大きく羽ばたくことができた。藤田はそう捉えている。
――本田選手は若手が2~3年で海外にチャレンジするという「新たな道」を作った1人と見ることができますね。
「確かに当時の圭佑は特別な実績もない選手だった。国際大会もワールドユースに出たくらいで、五輪も本大会前だったし。それだけの選手が海外へ行ったことで1つの時代は変わったよね。それまでの海外移籍は、何かをなしえた人が行くとか、代表に入ったら行くとか、そんな感覚だったから。
圭佑の場合は名古屋との契約が終わって、きちんとトレーニング費用をフェンロが払ってくれたんだから、正当な移籍をしたわけだけど、そういう『ゼロ円移籍』も以前は認められにくかったね。それを許してくれて、育ててくれた名古屋には物凄く感謝しなきゃいけないよ」