心苦しい思いは最後まで残った
少し話はそれたが、いずれにせよ現役を辞めたばかりの自分に、評価、信用、期待をしてくれて、監督という話が回ってきたのは、とても珍しいケースであったことは間違いない。浦和から離れる決断は正直勇気がいるものだったが、だからこそチャンスに懸けてみたいという気持ちが強かったのは事実だった。
今振り返れば、すぐに決断はしなかったが最初に話をもらった時に心はほぼ決まっていたのだと思う。あとはその話の内容を確かめるために、何度かチーム関係者に会ったり、自分が信頼する人に相談をしたりしながら、2ヶ月程考え、監督業への挑戦を昨年12月の初旬には決意した。
その後はお世話になった方々への挨拶回りを行なった。まずは自分をこの浦和レッズに誘っていただいた落合弘さん(浦和レッズハートフルクラブ・キャプテン/元日本代表)に報告をしたが、自分の考えを伝えることはとてもエネルギーのいる事だった。
自分が尊敬する、そして恩師である方に、その方のもとを離れたいと伝えるというのは矛盾する想いや葛藤があったし、実際1年で自分の決断を覆すことにもなったので、心苦しい思いは最後まで残った。
その後にVONDSとの契約交渉に臨んだ。
まずはチーム関係者の方との面接。といっても、かしこまった形ではなく、会食の流れでそれは始まった。
2回目に会った時は、席につくなり、「どのようなチーム作りをするつもりなのか?」「どのようなサッカー観を持っているのか?」というストレートな質問が浴びせられた。準備していたわけではなかったが、その時考えられる自分のチームへの想い、自分が大切にする考えを15分ほど一生懸命説明した。
【次ページ】仲間と熱く語り合った時間はかけがえのない財産