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Jリーグ 12年前

苦悩の時間の先に熊谷アンドリューの未来がある

text by 藤井雅彦 photo by Kenzaburo Matsuoka

居場所はBチームばかりで、パフォーマンスが上がらない日々

 ベンチ外は期待の表れ。だが当人はなかなかそう思えない。熊谷は肩を落とし、低いトーンでその出来事を振り返る。

「ベンチに入れなかったのはショックだった。でも力が足りないからメンバーに入れなかったということ。もっと頑張らないと監督に認めてもらえないし、選手に認めてもらえないと試合でもいいプレーはできない」

 ルーキーイヤーはリーグ戦先発6試合を含む10試合522分に出場した。第26節・鹿島アントラーズ戦ではラッキーな形ながらプロ初得点も記録している。10月にはプロA契約を締結し、Jリーガーとして着実にステップアップしていく。

 2年目はさらなる飛躍が期待され、フロントの意向によって背番号が『28』から『14』へ変更された。直前まで背番号14を背負っていた狩野健太(現・柏レイソル)も、タイトル獲得に大きく貢献した奥大介(現・横浜FCテクニカルアドバイザー)の背番号を譲り受けた経緯がある。期待値が高いのは狩野も、そして今回の熊谷も同じだった。

 こうして2年目を迎えたが、始動日直後からアクシデントに襲われる。宮崎キャンプ入りする直前、インフルエンザにかかってしまったのである。当時、特に横浜地方で猛威を振るっていた病原菌に倒れた。

 キャンプに合流したのは折り返しを過ぎた6日目から。すぐにフルメニューをこなせるようになったとはいえ、キャンプ序盤の練習試合に出場できず、病気にかかったことによるイメージダウンは拭いきれなかった。

 負の流れを引きずったまま開幕を迎えた。居場所はBチームばかりで、Aチームに組み込まれるケースは稀だった。その境遇に気落ちしたのか、プレーの質はなかなか上がらない。

 ミドルレンジやロングレンジの展開力は影を潜め、無難なプレーに終始する。富澤や中町が主力として確固たる地位を築いたのに対して、熊谷のパフォーマンスは明らかに物足りないものだった。

「極端な話、練習試合でも自分で打開できてしまえば問題ない。全部を自分一人でできるわけではないけど、相手が一人来ても、それを自分の力ではがしてしまえばいい。そういったプレーができない自分は、やっぱり力が足りない」

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