バルサを倒すには、そのプレーの“源泉”を封じなければならない
――そしてミスターは実際にリーガでバルサに挑み、96/97と06/07シーズンの2度にわたりレアルをリーグ制覇に導いています。
「だが、それでもやはりカペッロのサッカーは守備的で退屈だと批判されると?(笑) まぁその話はさておき、私が初めてリーガに挑戦した96/97シーズンに関して言えば、当時のバルサはいわゆるオランダ化を進める中での“再構築”というべき段階にあった。それでも確かに攻撃陣は例のごとく強力だったのだが、その守備はと言えば余りにも脆弱だった。
一方、私に求められたのは実際のところひとつ、レアルの守備組織を改めるというもの。前線ではスーケルをはじめとする面々が真価を発揮し、また何と言っても急激な成長を遂げるラウルという存在があり、結果として、攻守のバランスを得たレアルはさしたる苦もなくリーガを制することができた。そして、そこに私がいることはなかったんだが……翌シーズンのレアルはCLを制覇。これを可能にする土台を作り上げるに至った」
――そして2度目のリーガ、06/07シーズン。
「ちょうど10年後に戻ったわけだが、そこで見たバルサはまったく違っていた。やはり彼らはたゆむことなく独自の歴史を積み重ねていたからだ。事実、その前年に3冠を成し遂げていた彼らは、再び紛れもないドリームチームになっていた。したがってリーグ戦は熾烈を極めた。もちろん、当時のレアル会長カルデロンは他ならぬ『打倒バルサ』のために私を招聘したのだが、あの完成されたバルサに対し、時のレアルは新体制下ゆえに決して一枚岩ではなく、むしろ余りに多くの問題を抱えていた。
シーズン半ば、1月になっても形を整えることができず、いわゆるプリマドンナ集団の典型的な問題を、つまりはロッカールーム内の分裂という実にくだらない問題をも抱えてしまっていた。そこで、やむなく私は強硬手段に打って出ることになる。アントニオ(・カッサーノ)とベッカム、そしてロナウドをメンバーから除外。チーム全体に強烈なメッセージを与え、これにベッカムが見事に応え、その無類のプロ意識を発揮すると後半戦は実に貴重な貢献を果たしてくれることになった。加えて、1月にはガゴ、マルセロ、イグアインを獲得。欠けていた部分を補うと、我々は何とかバルサの独走を阻むことに成功した。
そして、明言できるのは、あのバルサは本来のチーム力でレアルを遥かに上回っていたということ。その論理からすればシーズンを制すべきはバルサだった。もっとも、そうした論理を覆すことにこそサッカーの醍醐味があり、現実に我々は明らかな実力差を埋めてみせたわけだが、ここで言う本来のチーム力なるものをバルサは直後のシーズンから今日に至るまで、07/08シーズン以降を3連覇し、余すことなく発揮している。
そして今日、バルサの骨格はその哲学が不変であるのと同じように変わることがない。むしろデコやロナウジーニョらを放出することで、より彼らの理想に近いサッカーを実現している。ただ、その意味においてエトーの放出だけは違うはずだが。サムエル(エトー)は今もなおバルサにとって極めて有益な選手であるに違いない」