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【特集・3/11を忘れない】塩釜FC小幡忠義理事長インタビュー ~被災地救援を支えた塩釜FCの絆~(後編)

text by 木村元彦 photo by Tadayoshi Obata

勝った負けたも大事だけど、俺はスポーツを嫌いにしない

 小幡の事務所には、過去のお宝DVDが山のように積まれている。小笠原や佐々木が小学生のときのものから幼少のカカが遠征してきたときの映像に至るまで。それを見ながら彼らが子供の頃どんなプレーをしていたか、事細かに解説してくれる。

――地域密着という言葉が叫ばれて久しいですが、くしくも非常時に塩釜FCはそれを体現するかのような働きを見せました。お年寄りから、若いおまわりさんまで広くて深い連携を自然にとって復旧支援に貢献した。これは当然、一朝一夕でできることはなく50年近く続いた歴史の賜物だと思うのですが、そもそもの活動理念はどこから沸いてきたものでしょうか。

「東北ということもあって、サッカーでは我々は後発の部分があるじゃない。それで先を行っていた清水や読売クラブに対抗するためにはどうしたらいいかって必死に考えたんだね。清水は学校の教員の方々が献身的に引っ張った。読売は企業がバックにある。ならば俺たちは地域だと考えたわけです。それまで日本のチームは試合のために集められた集団で、試合に出られねえと選手は辞めていくしかなかった。

 だから優秀な選手とか、勝たせる監督だけが評価された。みんながみんなっていうわけじゃないですが、そういう人たちが、トップになって、つまり一番大事なことを忘れてる人が上になってっから、日本のスポーツ界っていうのは少し違うんでねえかと思うね。うちがただ勝つだけのチームだったら、今回みたいな繋がりのある活動はできなかったと思います。だから、うちの財産はね、人的資源ですよ。それしかないです。

 勝った負けたも大事だけど、それは努力すればいいんだから。俺はスポーツを嫌いにしない、練習してくれって。それだけだよ。負けようが、なんにも言わなかった。悔しいんだよ、負けっとめちゃくちゃ悔しいんだよ。でもめちゃくちゃ悔しいけど、でも、それを非難してどうすんのって思う。じゃあ負けんの悔しかったらまた練習しよう、となればいいんですよ」

――(宮城県サッカー協会)会長任期中にこのような大きな震災が起こりました。このこと自体、もちろん不幸な事ですが、ただ、小幡さんの任期中にあったということは、やっぱり天命じゃないかとも思うのです。

「そうですね。復興を機会に新しいものにチャレンジしていく、今こそ、仕組みを変えていかなきゃいけないと思う。当然スポーツ界も変えていかなきゃいけない。そのためにはやっぱり人の繋がりが必要になってくると思うんですね。木村さんが言ったように、千年に一度のこの大事故に巻き込まれ、私はたまたまそん時に会長をさせてもらっている。なんかわかんねえけっども、みんなに集まってきていただいて、役に立つようなことができたかもしれない。これからもいろんな智恵を出しながら進んでいかなきゃいけないし、この難局も、智恵を出しながら、次のステップに、進まないといけないでしょうね」

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