共有されたFootball saves Japanの理念
また、一方でマリノスサポーターに限らない動きに拡大することもすぐに考えることができた。最初の物資集積ではそれなりの支援物資を集めることができたが、例えばJリーグサポーターに規模を拡大すれば、もっと大きなことができるに違いない。
その頃、同じようなことを考えていたのが植田朝日氏で、全国のサポーターグループから震災復興の統一のメッセージのようなものを出せないかと考えていたようだ。サッカーの周縁にコミットしていく発想方法は、普段は違うアウトプットではあるが、ハマトラの考え方と非常に似ている。たくさんのサッカーファンを巻き込んでいくために「Footballsaves Japan」という名称になったのは氏の発案である。ここから、本格的に賛同者のオルグ(勧誘)が始まり、次のようなメッセージを発信することになった。
―様々な垣根を越えて、サッカーを愛する人という立場から、それぞれが被災者や地域に対する支援活動を行うことを私たちは表明いたします―
賛同者が賛同者を呼び、その数は1万人を超えた。サッカー関係者などの個人賛同者が100人に達し、サポーターグループが150グループ超、メディアが15媒体(すべて2011年4月25日現在)集まったのは予想外のことだった。 特に、150を数える全国のクラブチーム(地域リーグやフットサルチームのサポーターグループを含む)の名前が並んだことは驚き以外のなにものでもない。これだけリスト化された日本のサポーターグループの名称データベースというのは、おそらくこれまでどこにも存在しなかった。
もちろん欠けているクラブのサポーターグループもあるのだが、これはもう致し方ないと考えた。サッカーが宗教のようなものであるのならば、異教に寛容ではないところもあるだろうし、宗派もあるだろう。どんなことでも連帯することはできないというのも、それはそれでサッカーのサポーターらしい話である。集まるのは、「様々な垣根を乗り越える」ことができる者たちだけで良い。
こうして多数の賛同者と協力者に支えられながら、JFAハウスの協力を得てサッカーミュージアムでの物資集積や仙台での「復興支援ボランティア弾丸バス」などの企画を立て続けに行うことができた。 サッカーミュージアムでの物資集積には、様々なカラーのユニフォームを着た老若男女が、のべ1000人以上も集まった。こちら側はさして指示したりすることもない。団体行動や組織活動に能動的に関わっていくことができるのはサポーターの得意なところである。
この日JFAハウスに集まった物資は、大宮アルディージャの輸送支援を受けながら、ベガルタ仙台サポーターが呼びかけた物資集積場所に届けられた。この物資支援のプロジェクトは、サポーターが仕切りながら、それをクラブがサポートするというものだった。朝から作業に交じってダンボールの積み下ろしをしているニット帽の老人はベガルタ仙台の社長その人である。