サッカーの周縁へ
ハマトラの活動のメインは、地域に対してカルチャーとしてのサッカーの楽しさをアピールしながら、自分たちのコミュニティを拡大していくことである。そうした目的からすれば、サッカーに関係がない周縁をどのように巻き込んでいくかが課題となってくる。
ピッチの選手を語って楽しむ方法は限られているし、それが煮詰まれば、よりマニアックな方向に進まざるを得ない。すでに、サッカーの戦術論は、死滅期を迎える頃のゲームセンターのシューティングゲームが、最初の1コインを投入するのを躊躇われるぐらいに難易度が高くなった頃に似ている。
だからといって、マーケティングの中の媚びたブランディングの一部になるのも違うと思ってもいた。サポーターは毎週スタジアムのコンコースのシートを敷いた地ベタに座りこみ、安いバスか鈍行列車を乗り継いで遠征し、雨に打たれても風に吹かれてもピッチに向かって立ち続ける、そんなダウン・トゥ・アースな存在だ。
サポーターがレプリカのユニフォームを着て、トリコロールの色で何かをしているだけで、それはサポートになる。ここにマリノスのファンがいる、それだけで地域に対してアピールになる。だから、ジャンルを問わず飛び出していこう。そんな考え方もあり、ヨコハマ・フットボール映画祭(2011年に初開催されたサッカー映画専門の映画祭。NPOハマトラが主催社のひとつ)のような毛色の違った活動も仕掛けていくし、スタジアムや地域の清掃活動も定期的に行う。
NPOハマトラの東日本大震災発生からの動きの素早さは、そうしたサッカーの周縁にコミットする考え方からすれば、当たり前のものであることをわかってもらえただろうか。
ハマトラは、別段マリノスのゴール裏を代表しているものでもなければ、サポーターの統一した組織とも厳密には言えない。様々な考え方を肯定しつつ、この活動であれば参加したいという人をプロジェクトに応じて結集させているだけでもある。ただし、そのために必要な人材はバックスタンドであろうと、試合に来られない事情を抱えた人だろうと、どんなグループのリーダーだろうと入ってもらっている。
今回の震災支援の動きについては、予想を超えた様々な立場のマリノスサポーターに結集してもらった感がある。
ご承知のとおり、2010年末には主力選手の契約非更改、とりわけ松田直樹に対するクラブ側の措置をめぐって、マリノスのファン・サポーターは大荒れに荒れた。ゴール裏のコアサポーターはクラブハウスに押し寄せ、クラブ側の対応のまずさが事態をさらに悪化させた。たとえチームを強くするという共通の意志があったとしても、クラブに内在する交換原理の通貨単位は「営利」という合理的なものであって、サポーターの通貨単位は「愛」という不合理なものである。
この2つの通貨に適切な交換レートを折り合わせているのが、クラブとサポーターなのであるが、このケースの場合は突如クラブの通貨が暴落して信用不安を起こしたようなものである。サポーターの選手愛がニセ札めいたものと交換されるのはままならないだろう。銀行の取り付け騒ぎに似ているかもしれない。クラブとサポーター間だけではなく、サポーター同士も、その契約非更改に対する意見の見解の差異をめぐってギクシャクした関係になってもいた。だから、この震災支援の活動は、むしろマリノスサポーターに一致団結する機会を与えてもらったようなところすらある。