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Jリーグ 12年前

【特集・3/11を忘れない】支援活動から思索する未知のサポーター像(後編)

今回の震災では多くのサポーターが被災地の支援に声を上げ、行動を起した。災害復興へサポーターはどのようにコミットしていったのか。その活動の一端を横浜F・マリノスのサポーターであり、NPO法人ハマトラの代表理事、震災を受けて立ちあがったFootball saves Japan事務局を務める清氏にリポートしていただく。

text by 清義明 photo by Kenzaburo Matsuoka

【前編はこちらから】 | 【フットボールサミット第3回】掲載

再構築される概念


【写真:松岡健三郎】

 2000年代に入り、Jリーグのマーケティングを阻害する要因のひとつとして名指しされたのは、そのような不良少年の物語だった。これにより「安全で快適なスタジアム」に漂白され始めたスタジアムの中のサポーターは、それぞれの立ち位置を再考していかなければならなかった。

 そんな中、Jリーグの応援カルチャーの定型をつくりあげた代表格が、それぞれサポーターとしての出自を明確にしながら、全く別の方向に活躍の場を広げ始めた。

 そのうちのひとりが植田朝日氏。小学生の齢から日本代表の応援に駆け付け、そのうちに「ウルトラ」という応援スタイルをつくりあげていったのは、まさしくこの人である。そして、その一方で、メディアにうまく立ち回りながら、アパレルブランド、コラソンジャパン社を展開し、さらには演劇からプロレスまで、エンターテインメントを志向しながら、あたかも冒険小説のような活躍ぶりを続けている。

 公職につく者まで現れ始めた。鹿島アントラーズのサポーターグループ、インファイトのリーダーに至っては、この4月の4期目の統一地方選挙で鹿島市議選をもトップ当選。この選挙では、現役を引退したばかりの都築龍太氏が埼玉県議会で立候補、世田谷区ではJリーグメディアプロモーションの役員が立候補したものの、双方ともに落選しているのと対照的である。

 他にも、浦和と福岡のゴール裏のリーダーがアパレル会社を立ち上げて、それぞれが盛況と聞く。これを、サポーター理念の成熟ととらえるか、物語からの逸脱と考えるべきか、解釈の立場が分かれることになるだろう。

 いずれにせよ、サポーターという存在は20年近くの歴史を重ねながら、そのコトバの出自と想像された概念の下で、少しずつ地盤のようなものがシフトしていっているのは間違いなかろう。

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