「サポーター」の誕生
日本初のプロサッカーリーグ、すなわち現在のJリーグをラウンチさせるためのプランを練りこんだ企画書が、きっとJFAハウスのどこかに残っている。当時は斬新であった「J」のアルファベットとカタカナだけで綴られた「Jリーグ」のネーミングや、地域カルチャーとの連携を必須としたホームタウンの考え方が、企画書の最初の数ページに書かれていて、そこからアメリカのプロスポーツの収益モデルやライツ管理の仕組みを導入したマネジメントプランが続いている。これらの項目のどこかに「サポーター」というコトバが出てくるに違いない。
顧客を表すマーケティング用語は「ファン」ではない。地域コミュニティとしてのクラブチームと、それに積極的に関わっていくスポーツファンの位置づけという、欧州のサッカークラブを範にしたコンセプトと、これまで目にすることのなかった「サポーター」というカタカナ用語が、ここで初めて登場する。
この新しいプロスポーツのファンは、日本のプロ野球のように、スポーツ新聞のインクの汚れが手垢として染みついた手でビールを片手に持っている、くたびれた顧客像ではない。スポーツ観戦に対して自分から能動的に楽しみを見出す、洗練された新しい文化そのものが「サポーター」というコトバに託されていたのだ。
博報堂のクリエイター曰く「サポーターあれ」、するとそこにサポーターがあった。神が、6日間で世界を創造した物語と同じく、1990年前後にOASYSのワープロで書かれただろう、日本プロサッカーリーグのブランディングのための企画書にあった、「サポーター」なるコトバが、ここからスタジアムの現実に現れ、そして独り歩きを始めた。
日本に創造された最初のサポーターは、フェイスペイントに、カラフルなレプリカユニフォームをまとい、チアホーンを吹き鳴らす存在から始まった。
やがてファッションの寿命が消費されると、マーケティングの効力を失った。だが、それと同時に、そのコトバの中にセットされていた言葉に隠されたプログラムのようなものが作動し始めた。サポーターという概念は、たとえそれが広告代理店の会議のテーブルでつくりあげられたコトバであったとしても、日本ではなじみの薄い地域共同体概念と、その中で自立して自ら文化をつくりあげる個人の集合体をベースにしたものだった。
よりディープな消費者を育てるには、その行為を「消費」とわからせないようにするという方法がある。いわゆるファン・ビジネスというものはそのように出来上がっている。単なる商品購買にすぎないものを、あたかも神聖な贈与や自己実現のための通過儀礼であるかのように幻視させられるかが、そのポイントだ。