あまり前例のない、サポーターによる緊急の支援活動
スタジアムにおける様々な応援に関する活動、例えばコレオグラフィ(チームカラーをボードなどで彩る演出)には精緻な作業計画と作業人員の配置が必要だし、今ではご法度となった紙吹雪ならば数トンの物資を独自で制作してロジスティックを確保しなければならない。それらの制作費や必要経費の調達は、それなりにきちんとした経理の仕組みをもっている。
募金であったり、スポンサーからの拠出であったり、あるときはクラブから予算を分けてもらっているときもある。いずれにせよ、単にサッカー好きであるというだけではできないことである。キチンとした「大人」がいないとやれない類のものだ。応援のコールやチャントといったものも、数万人規模の人々をスタジアムで巻き込むためには、それなりに意思決定と上意下達の組織化の仕組みが必要となる。
だが、サポーターがこのような緊急の支援活動をすばやく行った前例はあまりないと思う。本来は、たかだかサッカーのサポーターである。しかも、そのような支援活動は、必ずしもJリーグのサポーターという括りと自己意識の中でやる必要はないはすだ。
ところが、震災復興の支援活動は、クラブチームの垣根を超えて大きなムーブメントになった。しかも、それがJリーグのサポーターに何ができるのかという自己規定の中で行われたことが、他のスポーツファンと比較して特異である。
サポーターは明らかに進化してきている。
サッカーのプレイや戦術、またはクラブマネジメントやエンターテインメントビジネスとしての側面は様々に語られてきた。だが、日本のサッカーサポーターの現在に内在する論理を、はたして誰がキャッチアップできているだろうか。それが、テレビや雑誌がつくりあげるパブリックイメージと乖離しているのならば、その誤差はどこから生じるものなのか。それを考えてみることにより、これまで全く考えられることのなかったサポーターの未知のイメージが演繹されるかもしれない。
そのために、東北地方太平洋沖地震に対してのサポーターの活動の前に、日本における「サポーター」なる存在について考えてみたい。
まずは1993年にさかのぼってみよう。