巻頭言
読書欄の存在意義って何だろう。この情報食(インフォボア)の時代にそれは十全に機能しているのだろうか。スポーツ関連書の新刊評を比較的長くやってきたこのぼくからして現在の制度的な状況をあまり快く思っていない。しかも困ったことには、打開策を編集者諸氏から一度も聞いたことがないのだ。新刊評(その取扱い期限はだいたい刊行から2ヵ月以内)はいつも手短な紹介記事扱いで、プロらしい編集テクニックも発揮されていない。たしかにこんな調子では新鮮な批評欲の維持さえ難しい。
気づいたのは、むしろ書き手のほうだった。
このところ書評のために割かれる新聞や雑誌のスペースが極端に少なくなり、読み手の質も関係しているのだろうが、批評はおろか内容の紹介すらほとんどできない場合が多い。
書評をする方がたにお願いしたいのは、本のつくり、装幀その他の点について、一言でも言及して頂きたいということである。無用な飾りを廃して、本屋や書斎が少しでも品位ある雰囲気になればよいと思うからである。
美術史家の辻佐保子さん(1930─2011)が著書『辻邦生のために』(新潮社)でそう綴っていて、ぼくには「それでもなお字を読まなくては生きられない者の一人としての」貴重な遺言のように思えてならない。
言うまでもなく、本の執筆には想像以上の労力が費やされる。絶賛調で紹介されていれば、どんな大家でも有頂天。反対に痛いところを突かれれば一生ものの恨みに繋がりやすい。しかもきちんと読んでいるか否かについていちばん敏感なのが著者なのである。
けじめも境界もなくしてしまう大衆迎合化は阻止したい。だがせっかく生まれてきた子をとりあげたからにはたくさん売れて欲しい。そんな複雑な思いでぼくの場合は新刊評をやって来たように思う。それはこれからも変わることがないだろう。
ひそみに倣ったのは、映画評論家の双葉十三郎さん(1910-2009)が長く『スクリーン』誌などで続けていた「ぼくの採点表」である。対象総数は外国映画ばかり8900本。この先半世紀以上続けても追いつかない偉業なのだが、とりあえずは、まず7冊である。遅読タイプでもないのに読了までにたっぷり4日かかってしまった。
なお、採点は双葉方式に準じ、☆☆☆☆☆がダンゼン優秀の満点で、☆一つが一応20点、★一つが5点前後。以下、
☆☆☆☆以上……拍手喝采。
☆☆☆★★★……上出来の部類。
☆☆☆★★/☆☆☆★……読んでおいていい本。
☆☆☆……まア水準程度。
☆☆★★★……水準以下だが多少の興味あり。
☆☆★★以下……篤志家だけどうぞ。
――という風にさせていただく。工夫のない読書欄に業を煮やした一介の本好きの短評ということで、ご理解をいただければと思う。