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サガン鳥栖・尹晶煥監督インタビュー ~根性という名の知性~

text by 荒木英喜 photo by Kenzaburo Matsuoka

チームの調和を高め、連動するサッカー

――監督としてのチームの理想像とはどのようなものでしょうか?

「日本全国にいる子どもたちが、サガン鳥栖のサッカーを観て、『サッカーをやりたい!』と思い、『サガン鳥栖でサッカーをやりたい』と思われるチームにしたいですね。今はG大阪や浦和がそうしたチームだと思います。そんなチームになるにはまだ遠い道のりがあると思いますが、サガン鳥栖は15年でJ1の舞台に立つことができました。だから、それもできると思いますし、これから先がさらに重要になります。これを具現化するには、サッカーの内容と成績が大事になります。また、クラブの環境整備も大切。この両面が調和してくれば、実現可能だと思います」

――G大阪や浦和の名前が出ましたが、攻撃的なパスサッカーが監督の理想ですか?

「ほとんどの指導者がスペインのサッカーを目指していると思いますが、すべてのチームにスペイン人がいるわけではありません。第一に考えないといけないことは、選手たちの持っている能力を最大限に引き出すサッカーを見つけることです。もちろん、ゴール前からパスをつないでいき、相手の守備を打開していければいいのですが、今のウチはそうしたチームではありません」

――今後、サガン鳥栖をどのようなチームにしたいですか?

「もう少しチームとしての調和を高め、パスで前に出ていけるチームにしたいですね。例えば、相手が予想もしないパスを出したり、そのための動き出しがあったり、ボールとは逆のサイドでいろんなアクションが起きているなど、11人が連動しているサッカーをできるようにしたい。そのためにも、どこでボールを奪うかが大事になります。そうした部分でチームのレベルを高めていきたいと思います。

 そのためには体力的な要素がもっと必要になります。これまで勝った試合でも、もっと走れたと思います。もっともっと相手より走ることができ、球際などで激しくプレーできたら、勝てた試合も多かったと思います。チームの調和と走力など体力面のレベルを上げて、私の思っているサッカーをピッチで体現できるように導きたいと思います」

【了】

プロフィール

尹晶煥(ゆん・じょんふぁん)
東亜大学校在籍時に韓国代表デビュー。95年にKリーグ・油公コッキリ/富川SK(現済州ユナイテッドFC)でプロデビューを果す。2000 年にセレッソ大阪に移籍。その後、城南一和天馬、全北現代モータースを経て、06年にサガン鳥栖に加入。07年に現役を引退。引退後、08年にテクニカルアドバイザーに就任し、コーチ、ヘッドコーチを歴任し、監督となる。2002年の日韓W杯韓国代表メンバー。国際Aマッチ38試合3得点。

初出:サッカー批評issue58

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