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ハーフナー家の絆 ~親子ニ代で日本人になるということ~(前編)

text by 元川悦子 photo by Kenzaburo Matsuoka

子供たちには英語と日本語を習得させた

 一方で、日本人になっても母国語であるオランダ語を大切にしたかったため、家庭ではオランダ語で話しかけた。学校はインターナショナルスクールに通わせ、英語と日本語の両方を習得させる配慮もした。

「でもインターナショナルスクールは70%が日本語なんですよ。ランチタイムなんかは生徒が日本語で会話することが多いんで、先生が『英語で喋りなさい』って怒ってるくらい(笑)。マイクとニッキはサッカーも日本語でやってましたから、日本語と英語は完璧です。だけどオランダ語はまだまだ。

 マイクはオランダに4ヶ月住んでだいぶレベルアップしましたけど、ニッキはあんまり分かってない(苦笑)。目を見ながら話しかけてますけど、難しいみたいですね。3つの言葉を学ばせたのは、国際的な人間になってほしかったから。特に英語は世界中で通じます。長女も今はドイツで働いてますけど、言葉は子供たちのアドバンテージになると思います」

 そしてディドにはもう1つ大事にしているポリシーがあった。それは「子どもたちが大人になるまで家族はつねに一緒にいるべき」ということだ。

 サッカーに携わるディドに「転勤」はつきものだった。ニッキが生まれた直後、彼はジュビロ磐田へコーチ兼選手で赴き、97年には同じ立場でコンサドーレ札幌に移籍した。札幌では98年まで現役を続け、その後はコーチとして2002年まで働いた。2003~2006年は岡田武史監督の下、横浜F・マリノスでGKコーチを務め、2007年に流通経済大学で短期間指導。そして2008年から2011年9月まで古巣・名古屋にアシスタントコーチとして復帰した。これだけ転々とした生活を、彼は基本的に家族と一緒に送ってきた。

 現在は清水エスパルスにいるが、ニッキが名古屋U-18に所属しながら学校に通っていることもあり、名古屋~清水間約200㎞・片道2時間をほぼ毎日、車で通っている。

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