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今だから明かせる、松井大輔スポルティング移籍破断劇の裏側

text by 鰐部哲也 photo by Kenzaburo Matsuoka

背番号が決定しながら移籍が破断になった理由とは?

 ここから、両クラブ間の移籍交渉は難航した。グルノーブルは2010/11シーズンからフランスリーグ2部への降格が決まっており、さらに松井とは昨シーズンより3年契約を締結中。あと2年の契約が残った中で、どうしてもクラブの資金的に移籍違約金を1ユーロでも多く得たい事情があった。

 また、スポルティングも松井に先んじて、7月6日にチリ代表のウインガー、ハイメ・バルデスと契約合意しており、約300万ユーロ(約3億3000万円/当時)を使っていたという懐事情があった。両者の思惑は平行線を辿るが、ついに2010年8月15日、大筋で移籍契約合意に至る。そして、松井大輔は、晴れてリスボン入りすることになるのである。

 2010年8月16日、午前中にメディカルチェックを受けた後、午後には「ジョゼ・アルヴァラーデ」スタジアムのピッチで「ヴェルデ・イ・ブランコ(緑と白)」のユニフォームに袖を通しお披露目が行われることになっていた。松井に用意された背番号は「19」番だったという。

 ところが、スポルティングサイドとグルノーブルサイドで、移籍金の再確認を行っている最中に、グルノーブルサイドが”最後の悪あがき”をしてしまう。金額は公表されていないが、両クラブ間で合意した松井の移籍金は230万ユーロ(約2億5070万円/当時)だったと言われている。

 グルノーブルは最後の最後になって移籍金を250万ユーロ(約2億7250万円/当時)に吊り上げたようだ。結局、このたった20万ユーロ(2180万円)の溝が埋まらずに契約は白紙に。

 一説には、スポルティングは、移籍金額の増額ではなく、グルノーブルの土壇場で”ごねる”という交渉の仕方がお気に召さなかったようだ。スポルティングは、騎士の末裔が創始者で、「格式」を重んじる気高いクラブであることを信条としている。

 グルノーブルの態度がスポルティングの”顔に泥を塗った”ことは間違いない。スポルティングは”浮いた移籍金”(200万ユーロ)で、同日にはボランチのアルベルト・サパテルをジェノアから獲得している。

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