岡ちゃんなら1回くらい呼んでくれるかなと思った
――今回の代表には、中澤や(中村)俊輔といったチームメイトも戦っていたので、かなり思い入れもあったのではないですか?
松田 ボンバーに関しては、信頼して見ていました。俊輔に関しては大好きな選手なんで、本当に出てほしかった。俊輔とは、合宿に行く前に飯食いに行ったし、ワールドカップ中もメールを送ったのかな。オレは本当にあいつが大好きなんで「俊輔が出ない試合は見たくないから」っていうのは送りましたね。
――岡田監督についてはいかがですか。マリノスの黄金時代の名将であり、松田さんもキャプテンとして支えていたわけですが。
松田 そうですね。岡ちゃんが監督になったとき、1回でも(代表に)呼んでくれるかなと思ったんだけど「こいつ薄情者だな」と(笑)。1回くらいチャンスをくれてもいいのに。
――松田さんが最後にジャパン・ブルーのユニフォームを着てプレーしたのが、05年1月29日の対カザフスタン戦。この時はフル出場を果たして、代表初ゴールも決めています。早いもので、あれからもうすぐ6年になるわけですが、やはり今でも日本代表には強いこだわりを持っているのではないでしょうか?
松田 うーん、たとえばオシムのことを評価している人はたくさんいますけど、オレに言わせれば、あそこから日本のサッカーはつまらなくなったと思う。あの時、ジェフ(千葉)の選手をたくさん呼んだじゃないですか。けど、代表ってそうではないと思う。すごい選手を集めてきて、オシムのサッカーにするんなら分かる。勉強させるために呼ぶ、という考え方もあるかもしれないけど、でもそれは代表ではない。自分の考えでは、日本で結果を出しているベストの選手とか「こいつすごいな」とみんなが認める選手を集めて、そこから自分がしたいサッカーをさせるというのが代表なんだと思うんですよ。
――(12月)24日に、アジアカップに臨む代表メンバー発表があります。気になりますか?
松田 ぜんぜん。自分の就職活動があるから(笑)、今は代表どころじゃないですね。でも、最近は面白い選手が出てきたなと思いますね。若い選手でも、いい意味で生意気なやつがね。自分に絶対の自信を持っている、そういう選手が大好きなんで。マリノスでいえば小野(裕二)。やつも高校生だけど、いい意味で生意気ですから。やっと、そういうのが出てきたなという感じですね。
――16シーズンを過ごしたマリノスを去るにあたって、何か「贈る言葉」みたいなものはありますか?
松田 ぜんぜんないです(笑)。感謝の言葉以外は。最後は嫌な感じで終わりましたけど。もっと話してほしかったとか、いろいろありますけど、今は感謝の言葉しかないです。でも、やっぱり厳しい時代ですよね。(東京)ヴェルディもああなってしまって。オレはヴェルディも尊敬していているし、ヴェルディとマリノスの時代というのを経験しているんで。だから、やっぱり伝統あるマリノスというものを、このまま継続してほしいと思う。そこでもし、何か機会があれば、今でもマリノスに貢献したいとは思っていますよ。
――最後の質問です。「TAKE ACTION」で久々に中田さんと会った時には、何と声をかけますか?
松田 分からないですね。普通に「よお!」かな、別に何かを話すわけでもなくて。とにかく、すごく久しぶりですからね。ジーコの代表の時以来かな。何しろ、ずっと会っていなかったですから……。
※付記 1月9日、松本山雅フットボールクラブ(JFL所属)が松田の獲得を発表。その報を耳にしたのは、カタールの首都ドーハでアジアカップを取材中のことであった。当初、あまりの意外なマッチングに驚いたものの、よくよく考えてみればいかにも松田らしい選択だったと思う。あらためてインタビューの内容を読み返してみると、行間から「新天地での新たな挑戦」に対する意欲をにじませていたことが確認できる。その後の入団会見で、当人が「最初に手を上げてくれたのは松本山雅さんでした」と発言していることからも、インタビューの時点ですでに決意を固めていたのかもしれない。いずれにせよ、松田直樹の新たな戦いに想いを馳せつつ、その決断に心より敬意を表したい。
【了】
最後に。2013年1月20日、急逝した松田直樹選手を追悼する『松田直樹メモリアル 新春ドリームマッチ群馬2013』が開催される。2011年2月21日に発行された『フットボールサミット第2回』では、松田が横浜F・マリノスから戦力外通告を受け、移籍先が決まっていないタイミングでロングインタビューを行った。該当号のフットボールサミットは中田英寿を特集したものだが、松田直樹の人となりが非常に良く表れたインタビューとなっている。今回改めて、ウエブにて再掲させていただいた。(編集部)