中田はどうしても特別な存在になってしまう
――緒戦のブラジルについてはどうでしたか?
松田 ブラジルはワールドユース(現U-20ワールドカップ)のときにやっていて、負けましたけど「大したことない」という印象でしたね。名前を知っている選手もいなかったし。でも、アトランタのブラジルは、逆に知っている名前がたくさんいたんですよ。そういう感覚って、初めてだったんです。そしたら選手入場のときに、ロベカル(ロベルト・カルロス)が近くにいたんですけど、やつの小ささに驚いて(笑)。みんなデカイと思っていたから、思わず笑いそうになったというか「大したことないじゃん」って思いましたね。
――相手がナイジェリアだろうが、ブラジルだろうが、試合前にビビるという感覚はあまりないんですね。
松田 ビビるのはないですね。いい意味での緊張はありますけど、どんな試合でも。
――結局、ブラジルには勝ったけれど、ナイジェリアには非常に不本意な形で負けてしまいました。「もっとできたんじゃないか」という想いもあったのでは?
松田 いや、それがサッカーの実力じゃないかと思うんですよね。02年の(ワールドカップ)トルコ戦もそうだけど、結局それが実力なんですよ。そう思います。
――続く4年後のシドニー五輪では、グループリーグを突破。準々決勝では、アメリカとPK戦までいって、中田さんがシュートを外した時に、松田さんが真っ先に中田さんを慰めていたように記憶しています。
松田 いや、ぜんぜん覚えていないですね。ただ中田って、どうしても特別な存在になってしまうので、そうなるとチームは難しくなるんですよね。だからそうならないように、何とか自分のキャラクターでいい方向に行かないかな、というのは考えていました。とにかく、雰囲気の悪い中でやるのは自分も嫌いなので。
――確かに。ちょうどそのころから「中田英寿」がスーパースター以上の存在になってきて、チームメイトも声をかけづらい、指示を出しづらいという雰囲気になってきていたと思います。そこで思い出されるのが、02年のワールドカップなんですね。当時の代表に密着したドキュメンタリー「六月の勝利の歌を忘れない」の中で、中田さんがプールに突き落されるシーンがありましたが、あれは松田さんの仕業ですよね(笑)。落された中田さんも、何だか嬉しそうな顔をしていました。結局のところ、自分をいじってくれるのが松田さんしかいなかった、ということだったんだと思うのですが。
松田 やっぱり、自分でもキャラクターを作り出していたし、記者との関係もあって、若い選手にもそういうイメージが付いてしまうじゃないですか。オレは仲がいいというか、ずっと一緒にやってきているんで。ただ、変に仲が良すぎても悪すぎても嫌だし、「よしよし」みたいなのも気持ち悪いし(笑)。だからそこは、今までの関係でね。あいつも本当は面白いやつだから、だからそこは乗ってあげようと今でも思っていますけど。