ナイジェリア恐るるに足らず、と考えていたのは松田と中田だけ
――それでも、昔はろくにリフティングできなかった群馬のサッカー少年が、その後アンダー世代の代表にステップアップしていったわけですからね。A代表を意識するようになるのも、自然なことだったと思いますが。
松田 最初は運だけで代表に入って、そこで経験を積んで徐々に上手くなっていったんですけど。うーん、でもU-17の時くらいからですかね。その年代で、日本代表として戦うことが、どれだけすごいことなのかを意識するようになったのは。しかも11人のスタメンに選ばれて、日本の代表として誇りをもって戦わないといけないというのは、すごく感じていましたね。絶対に恥ずかしいプレーはできないなと。
――93年のU-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)は日本開催で、おりからのJリーグブームもありましたから、大いに盛り上がりましたよね。松田さんにとって、あの経験は大きかったですか?
松田 いやあ、U-15からでかいですね。自分は指導者に恵まれていて、そういうので伸びたというか。小学校からプロに入るまで、本当にすべての指導者に恵まれましたね。
――もともとFWだったのが、DFにコンバートされてから才能が開花した話は有名です。そういえば井原さんも、もともとはFWでしたね。
松田 でもオレの場合、FWとしては大したことなかったですよ。たぶんFWって、本当に一握りしかタレントは生まれないと思います。それでも、負けず嫌いで点を取りたいという感覚は今でも持っています。
――分かります。実際、これまでマリノスで何度も劇的なゴールを決めていますからね(笑)。アトランタ(96年)とシドニー(00年)、五輪に2度出場して、両方とも中田さんと一緒にプレーしていましたよね。同世代ということもあって、同志以上の存在だったのではないかと思うのですが。
松田 お互い、それほどでもないんじゃないですか。あいつ自身、ものすごくさばさばしているし。でも同志というか、本当に信頼はしていました。
――アトランタの時、グループリーグ第2戦で対戦したナイジェリアについて「恐るるに足らず」と考えていたのは、チームの中で中田さんと松田さんだけだったそうですね?
松田 そうでしたね。U-17のときに、練習試合を含めて3試合やっているんですよ。そういう経験をすると自信が生まれて、それが普通だと思うと日本の選手でも(国際大会でも)普通にやれると思うんですよね。