一見、人当たりが良さそうに見えながら、報道陣には軽々しく真意を見せない金森社長。一昨年の西野朗元監督との契約満了が発表された日も、明確な理由を求める報道陣を煙に巻き、一時間以上を超した会見で出された結論に筆者を含む記者たちは唖然とした。
「夫婦だって、理由なく別れることがあるでしょ」。
そんな弁舌巧みな経営トップでさえ、いかようにも誤魔化しようがなかったのが、西野元監督の後任選びだった。
証言2「二頭体制になることは絶対にない」
前年3位の強豪がわずか一年でJ2に降格したのは確かにJリーグを「激震」させたのかもしれない。ただ、その予兆は既に現れていた。
チームを襲っていた「前震」は2011年11月23日である。攻撃サッカーという哲学をクラブに植え付け、国内全冠とACLの優勝をもたらした西野監督(当時)との契約満了のリリースが出された後、詰め掛けた報道陣に対して当時の山本浩靖強化本部長は、キッパリと言い切った。
「ガンバはサポーターやメディア、そして大きく言えば日本国民が優勝しなければいけないと思うチームになっている。今後10年に向けて、新たな風を入れて、新たな進化を求めたい」
そのお題目は誰が聞いても納得だ。ただ、山本氏が犯した最大の過ちは、Jリーグ最多勝を誇る名将の後任選びを余りにも軽んじていたことに他ならない。
「その方が指揮する試合も見たし、サッカーに関しては戦術も知識も持ち合わせている方。プラス人格者です」
ここまで言い切る以上、さもビッグネームが用意されているのかと思いきや、山本氏の脳裏にあったのは「呂比須ワグナー」だった。
2012年にガンバ大阪が招聘した、セホーン監督、呂比須ワグナーコーチの2頭体制は、結果としてクラブ史上最速の監督解任劇へ繋がっていった。そしてそこでガンバは、二度目の大きな失敗を犯すことになる……。
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