「僕のプレーを見て、06年以降、欧州の多くのクラブがオファーをくれた。もちろん、心が動いたよ。でも、CSKAの首脳はエースストライカーである僕を売る気は全くないようだった。UEFAカップ(現ヨーロッパ・リーグ)や欧州チャンピオンズ・リーグの舞台で好成績を残すためには、僕の力が必要だったから。
それに、クラブの経営状態が良好だから、選手を安く売る必要もない。相手がこちらの言い値を払わなければ、それはそれでかまわない、という姿勢だった。だから、普通ならまとまる移籍交渉だってまとまらない。僕はエフゲニ・ギネル会長から『私の息子』と呼ばれるほど可愛がってもらったんだけど、移籍の希望をちらつかせると、『君はうちにどうしても必要な選手。移籍させるわけにはいかない』とはっきり言われた」
選手はクラブとの契約を全うする義務がある。しかし、クラブが自らの事情で契約期間中に選手を売却することも少なくない。また、選手が移籍を強く望む場合、クラブがそのような選手を留め置くケースは多くない。最高のパフォーマンスを期待できないし、不満分子がいることはチームにとって害となりかねないからだ。それゆえ、現実には有力選手の多くが契約期間を全うすることなく移籍する。
「CSKAは、そこが他クラブとちょっと違うんだ。悪口を言うつもりはないんだけど、選手の気持ちをあまり考えないというのか……。チームがその選手を必要とする間は、基本的に手放さない。選手の退団を認めるのは、彼がもうチームの役に立たないか、あるいは自分たちが完全に満足できるオファーが来た場合に限られるんだ」
移籍金が足りなければ交渉することすら不可能
その後も、欧州の移籍シーズンの度にラブに複数のオファーが舞い込み、CSKAモスクワがそれをことごとく拒絶することが繰り返された。それでも、ラブはくさることなくプレーを続け、08年のロシアリーグと08-09年のUEFAカップの得点王に輝いた。
「僕の場合、会長に特に目をかけてもらったことが裏目に出たのかもしれない。どうしても移籍させてもらえなかった。09年6月に契約が満了すると、CSKAは僕の予想を上回る好条件で契約延長を申し入れてきた。このときも欧州のいくつかのクラブからオファーをもらったんだけど、提示された年俸はCSKAよりも下だった。
また、その頃にはもう欧州の主要リーグでプレーしたいという気持ちが薄れていて、ブラジルへ帰りたいと思うようになっていた。ブラジルのいくつかのクラブからも、オファーがあった。でも、当時、ブラジルのクラブが払える年俸はCSKAとは比べ物にならないくらい低かった。いろいろ考えた末、09年後半から1年間、ブラジルのクラブへ期限付き移籍させてくれることを条件に、CSKAとの契約を延長したんだ」