今の本田圭佑を語る上で、欠かせない時代
星稜の3年間で大きく成長した彼のその後の物語は、ここであえて書かなくとも、目にしたことがある人も多いだろう。筆者はこの3年間を間近で見ることが出来た。それは1人のジャーナリストとして、この上ない喜びであり、幸せであった。なぜならばこの3年間は今の本田圭佑を語る上で、欠かせない時代だったからだ。
「高校生のときは本当にハングリーだった。特に高1は、いろいろな意味で一番伸びた時期かもしれない。挫折した自分を盛り返すために毎日必死にやっていた。河崎先生からは『君のいいところを思い切り出していってほしい』とよく言われたし、本当に俺をしっかりと見守ってくれた。チームメートにも恵まれて、いろんな意味でベストな状況を周りが作り出してくれた。もう1回自分を盛り返すことができた3年間だった」(本田)
一度折れかけた自分を取り戻し、さらに上に行くためにやってきた星稜。
「中学の段階でレギュラーでなかった選手は、子供の気持ちとして挫折を感じるものです。高校に上がったときに、気持ちを切らさずプレーし続けられるように、高校ではもう一度違う目で見てあげるということと、チャンスを沢山与えるようにしています。圭佑もまさにそうだった。個性に対しても、なるべく尊重してあげることが大事で、やったことを否定するだけでなく、肯定しながら、指導の中でもっと引き出していかないといけない。いかに選手たちにチャレンジさせるかが大事ですよね」と語る河崎の下、自分の個性、情熱、意思を押さえつけられることなく、時には的確なアドバイスで若干の軌道修正をされながらも、本田は自由に個性を伸ばした。さらに橋本ら良き理解者でもある仲間にも恵まれた。
星稜での3年間は、今や日本代表の象徴的存在になった本田圭佑の強固な土台となったのは間違いない。
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