お金はいらないと言ったら、ヴェルディでやらせてもらえますか?
98年10月、坂田がふたりで話したいと申し出ると、カズは東京プリンスホテルのバーを指定した。クラブの功労者にクビを宣告する、気の重い仕事である。本来定められている11月末の期限より早く、サシで話す場を作るのはせめてもの礼儀だった。当日、先に到着した坂田は周囲の目に触れにくい柱の陰に会談の席を用意した。
「僕の話をずっと黙って聞いていたね。カズは一流のアスリートなのだから、報酬が高額なのは当然だ。数少ない特別な選手はそうであってほしいと思う。しかし、われわれは従来の報酬を払っていたら経営が成り立たないところまで追い詰められている。そんな話をしましたよ。10分やそこらではなかったね。できるだけ傷つけたくなかったから、回りくどい話になったと思う」
坂田の話を聞き終えたカズはいったいどんな言葉を返したのだろうか。
「カズが言ったのは『では坂田さん、もし僕がお金は一切いらないと言ったら、来年もヴェルディでサッカーをやらせてもらえますか?』。そんな失礼なことはできないと言うしかありませんでした」
翌日、カズは坂田にひとつの頼み事をしている。形式で構わないから、とりあえずV川崎からオファーを出して契約の意思を示してほしい。金額は書き入れなくていい。移籍先は海外を考えているとのことだった。カズは細かい説明をしなかったが、坂田は理由を察した。所属クラブを解雇されたのでは、移籍先を探す上で不利が生じる。
坂田は書類を作成すると約束した。形式上とはいえ書面で出せば、あとでこじれる可能性もあったが、そこは相手への信用が上回った。だが、カズが書類を取りに来ることはなく、クロアチア・ザグレブへの移籍を実現させている。
看板選手だったカズが去り、ラモスと柱谷は引退を選んだ。V川崎は李国秀を指揮官に招聘し、リスタートの季節を迎えた。
「これから自分たちで新しいクラブを、新たなる歴史をつくるんだ。しつこくそう言い続けたね。カズやラモスがいた頃を引きずっていたら再生なんてできっこない。この先、生き残るために、そういったものを払しょくした別チームでなければならないと思った。ただ、頭から消そうとすることは意識しているということ。意識しているから、次はお前たちがという言い方になるんです。そのことは自分でもわかっていました。結局、ずっとカズたちを忘れられなかったんですね」